三宅乱丈さんの漫画「イムリ」は、2つの星と3つの種族の間で巻き起こる差別と戦争と、そしてその和平への道を描いた傑作漫画です。


本作にはイムリとカーマとイコルという種族が存在しており、カーマはマージという星に、差別的階級社会を構築しています。本作には「侵犯術」という人の心を操る術があり、カーマは侵犯術によってイコルを命令に反応するだけの奴隷に変えて利用しています。
カーマたちにとっては奴隷のイコルがいるのは当たり前で、イコルには元々自分たちと同じように意思があったことを知らない人たちもいます。本作の主人公でデュルクは、意思を奪われて奴隷に変えられるイコルを目の当たりにし、自分がこれまで当たり前に享受してきたものが、差別構造の中の、大きな犠牲によって成り立っていることを知ってしまいます。
本作ではそんなカーマと、ルーンという星に自然とともに暮らすイムリたちとの戦争が描かれます。戦争は過激化し、多くの犠牲を生んでしまいますが、志ある人々の力で和平へと向かっていきます。
人はなぜ差別をしてしまうのか?人はなぜ争うのか?それらは人が生きる中で自然に発生しますが、差別や戦争を止めることができるのも人です。本作では、あまりにも悲しい悲劇の連なりの中で、もう争わないでいたいという結論に至る過程がとても丁寧に描かれ、そしてその意志が本当に社会に反映されることの困難さもまた描かれます。人間社会の持つ悲しさと苦しさ、そして希望について、何もごまかさず徹底的に向き合った漫画であると思います。
侵犯術は、人の心を操るとんでもない術です。主人公のデュルクは父親に日常的に侵犯術をかけられ、隠し事のできない話を強制的にさせられるのが日常です。なぜそんなことを父親がするかと言えば怖いからでしょう。デュルクはカーマの社会で育ちながらも実はイムリの少年です。カーマである父親は、イムリの力を恐れているため、血のつながらないデュルクに全てを喋らせることで安心を得ていました。
その恐れは、デュルクの父親だけのものではありません。圧倒的な支配力を持ったカーマの社会と、その強固な差別的支配構造は、全てイムリやイコルに対する恐れから生まれていると捉えられます。なぜならば、カーマはとても弱い種族であったからです。かつて起こった大きな戦争の中で、弱いカーマは虐げられる存在でした。同じ侵犯術を使ったとしても、イムリやイコルには地力で勝てません。だからこそ自分たちが虐げられないための構造を生み出したのです。
生まれながらに弱く、それでも虐げられないために作り上げた構造が、疑心暗鬼を避けるために他人の心をのぞき込み、自分に逆らえないように他人の自由な意思を否定する、悪意に満ち溢れた差別社会となってしまったことの悲しさがあります。
イムリは強大な力を秘めた種族です。その力に目覚めたデュルクも、デュルクの双子であるミューバも、イムリの力によって大破壊をもたらします。
遠い昔に起きた戦争の中で、カーマの社会に恐れを植え付けた強大な力です。カーマはイムリを畏れるがゆえに、カーマの権力の頂点である賢者に密かに代々イムリを据えています。それは、戦争の中で、弱きカーマを救った覚醒者と呼ばれるイムリがいたことにも由来します。
力の強い者と力の弱い者が相対するとき、強い者が「対等だ」と認識していたとしても、弱い者にはそうは思えないかもしれません。いざとなれば力で負けてしまうと思うからです。そのため、弱い者は保証を求めてしまいます。自分たちがいざというときに暴力に脅かされないという保証です。
近代社会では、個人より大きな暴力的存在として政府があり、その暴力の行使を制限するための法律が存在しています。それによって目の前の個人の暴力の発生を、より大きな暴力の存在によって牽制し、脅かされない保証を信じ、社会は安心を得ています。
弱いカーマが作り上げた社会もその意味で効果を発揮し、そしてその在り方は最悪です。人々は仕組みの中で奴隷となります。それは、侵犯術によって意思を奪われたイコルの話だけでなく、カーマ自身も作り上げられた仕組みによって自分たちを奴隷化しているとも捉えられます。なぜならば、取りうる選択肢を限定され、仕組みを維持するためのパーツにさせられているという見方もできるからです。
他人に強制的に言うことを聞かせられる侵犯術の存在が、人々から対話の機会を奪いました。手間暇をかけて対話するよりも、他人を黙らせること、その意思に関係なく行動を制限できることを選べてしまうならば、双方向のコミュニケーションは成り立ちません。他人を理解する必要はなく、自分を理解してもらう必要もありません。
侵犯術はそのように、対話をするという能力を磨く機会を人々から奪いました。戦争はその先にあるものです。互いを理解して落としどころを探ることができなければ、より強い暴力を使って相手を黙らせ、言うことを聞かせるしかないからです。
ならばこの戦争を終結させられるものは何なのか?互いに取り返しのつかない傷つけ合いを繰り返し、許して引き返せるような場所はとうに過ぎています。和平交渉の場でも相手の裏をかいて出し抜くことが画策され、相手を許せない者たちは力で屈服させることしか選択できません。
この戦争を和平に導くのはカーマの最高権力者である賢者タムニャドです。そして彼を育てたのはデュガロ、カーマの権謀術数の中核にいた最悪の男です。タムニャドは自分が実はイムリであることも知らず、人の悪意から隔絶された安全な場所で生きてきました。
彼はカーマとイムリの和平交渉の場にやってきます。しかし、そこは和平とは名ばかりの実質的な戦争の最前線の場でした。その和平交渉のための密室で相手を出し抜こうという策略があったからです。しかし、デュガロによって戦いの場から遠ざけられたにも関わらず、タムニャドは自らの意思でその場にやってきます。なぜなら彼は支配されない意思を持てるように育てられた男だったからです。育ての親のデュガロをも疑い、自分の意思で動いたからこそ彼はやってきました。
タムニャドの誰にも支配されない心を育てたのが、カーマ社会の中核で、支配するとともに支配され続けていたデュガロであることは皮肉なことでしょうか?いや、デュガロこそがカーマの社会の歪みの象徴であり、その社会の中にある苦しみを抜け出す希望を一番待ち望んでいたのかもしれません。ならば、これは必然的なことであるでしょう。
タムニャドはそこで、自分が実はイムリであったという事実を告げられます。自分自身をカーマだと思って生きてきたタムニャドにとって、それは衝撃的な事実であったと思います。しかしそこでタムニャドから出てきた言葉は「私がイムリであるということは、和平交渉をする上での障害になりますか?」という問いかけでした。
タムニャドには意思があります。それは「この戦争を終わらせること」です。相手を力で潰すしかない戦争は無理解の象徴です。タムニャドは戦争を終わらせるために対話を望みます。それは戦う相手であったイムリだけでなく、自らの作り上げた支配構造に支配され続けているカーマを救うことであると考えているためです。
タムニャドの言葉はこう続きます。「私は和平交渉を諦めるつもりはありません。我々は対話できるはずです」。
タムニャドは、人の本当の心から目を逸らしません。様々な外的な圧力によって捻じ曲げられてしまう、人が持っている本当の心を、「ないもの」として取り扱いません。人には多くの選択肢が必要です。それを選ぶことが人の自由な意思です。タムニャドの言葉は、他の人たちの心にも本当の心があることを思い出させます。
タムニャドというあまりにも高潔な男の存在が、カーマとイムリの和平交渉を成立させました。この場面は本当にすごいので是非読んでください。単行本の24巻です。
「イムリ」の物語の誠実さは、この和平の締結をもって、社会から差別やわだかまりが無くなったようには描かないことです。戦争が終結してもまだ人々は争いますし、胸にまだ憎しみがあるのに和平が成立してしまったことに不満を抱く人々や、これまで奴隷として取り扱ってきたイコルとの平等を許せないカーマの人々もいます。
タムニャドはきっかけを作りました。しかし、きっかけはきっかけでしかなく、世の中を変えていくのはその後の継続的な行動です。たった一人の高潔な男がいただけでは世界は変わることはなく、その高潔な男も永遠に生きるわけではありません。
世の中がどうあるべきで、そのためにどうすればいいかを一人一人が作っていくこと、その連なりの中でのみ、差別をなくすこと、戦争を起こさないこと、平和を維持することが成立することが描かれます。
それは、この「イムリ」という漫画の先にいる読者にも向けられる目線ではないでしょうか?差別をなくし、戦争を終結させる物語があることは素晴らしいことですが、それだけでは何も変わりません。それを読んだ自分がどうするか?どうし続けるかという自分の物語ではないかと思うからです。
さて、そんな傑作漫画「イムリ」の原画展が、現在大阪の心斎橋で開催中です!!(会期:2025/6/7~2025/7/6、水曜木曜が定休日)


企画者はなんとこの僕、ピエール手塚で、三宅乱丈さんに直接相談して開催にこぎつけることができました。
ベアトラップギャラリーでの原画展企画の提案チャンスを貰ったとき、札幌までサイン会に行った折に三宅乱丈さんと連絡先を交換させてもらったのをいいことに、またコミックビームでの担当編集さんが同じであることも利用して、上手いこと実現にこぎつけました。原画を選び、グッズを提案し、札幌まで原画を借りに訪問して、どのように展示するかの全てに、企画者としての僕の意見が反映されています。
僕は今から25年ちょっとぐらい前に「ぶっせん」を読んで以来の三宅乱丈さんのファンなので、ファン活動の行きついた先の原画展開催となります。なので、自分の欲望を全て叶えるような原画展になりました。イムリのファンであればきっと喜んで貰えるような展示内容になっていると思います。イムリのファンでまだなくても見に来てくれると嬉しいです。きっと読みたくなると思うからです。
ベアトラップギャラリーは昨年オープンしたばかりの小さな画廊ですが、前期後期合わせて100枚以上のイムリ原画と全単行本の表紙を所狭しと展示します。さらに、今回はNHKで放送された漫勉でイムリが取り上げられたときにチラ見せされたイムリの精緻な設定ノートの展示も許可して貰いました。
これは、僕の切なるお願いに三宅さんが応じてくれたものなので、僕以外のクレイジーな人間が頼みに来ない限りは、おそらく今回の展示以外では見られる機会はないのではないかと思います。
この設定ノートを抜粋したものが原画展グッズの「古代イムリ秘録」として販売もされます。ネットで注文もできるので、大阪までは来られないイムリのファンの人はこちらの購入だけでもおすすめです。その上で、グッズに含まれないものも見たければ大阪まで来てください。それもおすすめです。
https://beartrap8833.shop
イムリは今読まれるべき漫画だと思っています。これまでもそうでしたし、未来もそうだと思います。新たに読む人が少しでも増える機会に、この文章や原画展がなるといいなと思っています。