僕ヤバを知っていますか?/桜井のりお最新作『僕の心のヤバイやつ』解説

みなさん「僕ヤバ」って知ってます?「僕の心のヤバイやつ」という漫画なんですが
勿論、『このマンガがすごい!2020』のオトコ編で第3位に選ばれたことは知っていますし、マシーナリーとも子がすごくハマっていてコラムを書いているのも知っています。

ただですね、断片的な情報から漠然と「恋愛ものっぽい」「何か人の感情を刺激する」ような作品と認識しており…正直自分恋愛系の物語が苦手なんですよ。
(500)日のサマーとかラ・ラ・ランドも1回しか観られなかった。心が粉々に砕けそうだったので。

ただやっぱり世間の反応(TL上の阿鼻叫喚等)から内容が気になるなぁと思いつつTwitterを眺めていると…
私のTL上で特に荒ぶってる人がいるんですよ。
当メディアでサメ映画について書いてくれている「えのき」っていう人なんですけど。

「よし!じゃあ聞いちゃえ!」と思い彼に話を聞いてみることにしました。

以下、その際のやり取りの記録である。

大河内

こんにちはえのきさん。
突然ですが「僕ヤバ」について教えてくれませんか。

えのき

ぜひぜひ!

大河内

そもそも「僕ヤバ」ってどんな話なんですか?

えのき

「偶像を超えてお互いを理解しようとする話」だと思います。大げさになってしまいましたので、あらすじから説明していきます。

あらすじ

陽キャが憎くてたまらない…。
只今、中二病真っ最中の市川京太郎は、
学園カースト頂点の美少女・山田杏奈の殺害を企む!
だが、山田の意外な一面を知ってしまい…!?

陽キャ美少女と陰キャ男子。
縮まるハズのない2人の距離に
奇跡は起きるか!?
陰キャ・京太郎の青春が今、
かなり静かに動き出す…!!

えのき

ざっくりと説明すると僕ヤバは市川って男の子が、陽キャの山田って女の子と徐々に距離が縮まっていく感じの話で、ジャンルとしては(多分)ラブコメ(公式ではラブ未満コメディってなるけどここに愛がないなら世界に愛ってどこにあるんでしょうか)で、山田の心情はモノローグとか基本ないんですよね。完全に(ほぼ)市川の視点だけで進んで行くんですね。

それでまず市川なんですけど、市川がぼっちで「僕は頭がおかしい」ってなっているところでまず心の柔らかいところがザクザクと刺されて死んじゃうんですよね。いやなんていうか僕中学校とか高校のとき、学校にMDプレーヤー持って行って授業中ひたすら寝たふりをして筋肉少女帯のレティクル座妄想の「蜘蛛の糸」って曲聞いて「絶対学校の奴ら全員殺してやるからな……!」ってわけのわからない呪いみたいな感情を持って生きていたんですけど、そのときの歪んだ全能感というか、「俺はお前らと違うんだぜ!」みたいなコンプレックスを無理やり自意識に変換して自分を保っていたときの姿を市川の中に勝手に見出してまず発狂するんですよね。こ、殺してくれ。
でも市川は読者じゃないんですけど。読者ではないんですけど。

大河内

(MD!この人同世代だな…)自分は休み時間に『エヴァンゲリオンの謎』みたいな本を読みながらサッカー部の奴を全員殺そうと思っていたのでなんとなくわかります。筋少では『戦え!何を!人生を!』が好きですね。

えのき

話がずれました。
でもそんな風な学校という狭い空間で、そこに馴染めなくて、そこの空間が楽しくない十代の少年・少女にとってそれはもう世界が楽しくない、世界が憎いってこととほぼ同義と言っても過言じゃないと思うんですよね。もちろん現実的には不登校になっても、学校を転校しても、もしからしたらそうでない道も現実にはいくらでもあるかもしれないんですけど、いまそこに生きている少年(あるいは少女)からしたら学校という空間は絶対に逃れられない世界なんですよね。そこに「おかしな存在」として自分が生きている、それってもうどうしようもない孤独だと思うんですよ。普通、に馴染めない。どこまでいっても自分の居場所がない。自分のいるべき場所がわからない。
だからこそそこから、現状から抜け出そうとする何か、衝動が起きるんだと思うんですね。
主人公である市川京太郎がそのとき手にした衝動が、カースト頂点の美少女である山田杏奈への殺意なわけです。
自分はスクールカースト最底辺で教室の隅でスピッツと筋肉少女帯と聖飢魔IIと電波ソングを無限ループして「ヌフフ……」って笑ったり感動して「グスッツ……うううううう……」と授業中に号泣しながら聴いていた存在なので思うんですけど、カースト上位の人の存在って世界の絶対的な法そのものとほぼ同義に感じてしまうんですよね。

大河内

学校で『さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~』を聴いてニヤニヤしてた僕もカーストのボトムを支えてましたよ。

えのき

そうして「いつか山田杏奈を殺す」という衝動、願望を持っていた市川が教室という学校という世界の力が強く働く場所でない、避難所的な場所。図書室にいった時に山田と遭遇するんですね、イメージと全然違う山田に。
山田の図書室での振る舞いって全然教室で普段市川が見ていたイメージと違うんですよ。教室だと市川みたいな陰キャを見れば冷たい視線を送るようなクールビューティーなのに、図書室ではいきなり大きな口をあけて(おそらく給食は別に食べているのに)おにぎりを食べて、パーティ用のビッグサイズのポテトチップスを「ホンホホ〜ン。ンホッホホ〜ウホッホホ〜」とか歌いながら食べてるんですよ。想像できます???????

秋田書店「僕の心のヤバイやつ」 1より
大河内

食いしん坊なんですねぇ…でもめっちゃ可愛いですね。

えのき

それで見ていたら授業で使う模造紙にマジックで文字を書き出すけどスペース調整ミスって、文字が入りきらなくなったり、紙を切ろうとしたらカッターなくて無理やり手でちぎろうとするんですよ、クラスの!カースト最上位の!モデルやってる!クールビューティー!がいきなりそんなことするの想像できますか!?!?!?!!?!?
できないんですよ、そんなの陰キャの知る世界の法則にないんですから。世界が壊れるんですよ。
そんな山田の一面を知ってから市川の山田を観察する視点が変わるんですよ。
「カースト頂点の美少女」という存在ではない「山田杏奈」自身に注目が変わるんですね(諸説あります)
図書室に山田がおかしを食べにくるから、そこに交流が生まれる。
全く違う文化圏、世界の二人に接点ができるんですよ。

大河内

図書室って純粋に本読む場所として以外にも『学校』において、静かな休む場所としての機能やサボり場としての機能があるからそういう接点を生みやすいフィールドだと思っていて、なんかそういう接点好きですね。外だとゲーセンがオタクと不良の接点になるけど学校だと図書室みたいな。そういうフィクションが好きでずっと図書委員やってました。未だに童貞ですけど。

えのき

最初はひたすら山田の振る舞いに翻弄される市川なんですが、徐々にその山田を知るにつれて市川自身の感情、生活に変化が生まれていきます。
山田の頑張って作った授業の資料が使われずに悲しんでいることに憤ったり、クラスメイトの恋愛模様の邪魔をしないように山田と猫の真似をして「共同作業をしてしまった!」と赤面したりする。
序盤のエピソードとしてすごく象徴的なものに、第5話(Karte.5)のエピソードがあって、市川が山田の乗っているファッション誌を買って読むんですけどそこに乗っている山田を見て市川は冷めるんですよね。そして「知らない女の人みたい」とモノローグがある。

秋田書店「僕の心のヤバイやつ」 1より
えのき

ファッション誌の中の山田は市川が最初に思っていた偶像のままの山田(ヒエラルキー上位の市川にとって血の通わない存在)で、それを見てしまうから市川は「知らない」と思うんですよ。
それでも最初は市川がほぼ一方的に山田を観察するだけだった関係から、徐々に山田を市川に興味を持ち、交流が始まり……と、いうのが序盤の話なんですけど、というところから物語がスタートするんですね。第1巻では市川が山田という存在を知り、山田への恋心を自覚する、というところまでが描かれるんですけど、そこがめちゃくちゃ丁寧に描かれるんですよ。ただの一目惚れ、というのではなくて市川がどうしても山田という存在を追ってしまい目を話すことができない、考えないでいることができない、っていうことが丹念に描かれる。一巻あとがきで作者の方のコメントとしては

お読みいただきありがとうございます。この作品は「距離」「変化」「気づき」を丁寧に描いていきたいと思っています。どうか長い目で見守ってください。

秋田書店「僕の心のヤバイやつ」 1より
えのき

と書かれていて、「僕は山田を好き」と一話で書けば説明がつくことを、丸々一巻かけて丁寧に書いているんですよね。
はじめは市川から山田への一方的な好意でも、それが徐々に山田から市川への関心が生まれていきます。
山田にはモノローグなどの感情の説明が描かれないので読者はそれを描写から推測することしかできないのですが、山田もまた市川へ徐々に惹かれていくんですね。いや、惹かれていくはず、そう、間違いなく、たぶん、そう。なんでこんな山田について歯切れが悪くなるかというと、山田が市川へ関心を持ち、親しみを持ち、好意を持つ、という流れは1〜2巻で描かれているのですが(これは作者コメントなどからも確実だと思います)、山田は一切モノローグがないので読者は「ここで山田は市川へ関心を持った……のでは?」「ここで山田は市川へ親しみを持った……のでは?」「ここで山田は市川へ好意を持った……のでは?」と無限に推測、解釈、あるいは妄想するしかないんですよ。

大河内

あぁ〜なるほど。

えのき

これがどういうことかわかりますか?読者自身が山田を偶像化してしまっているかもしれない、という目線と戦わないといけないってことなんですよ!
作中で市川が山田のことを「カースト頂点の美少女」という先入観を超えて「山田杏奈」という存在として山田を見ていくのを読んでいながらも読者は「こうであってほしい」「こうなったらいいな」という願望を持ってしまう、そしてその描かれていない可能性まで誤読してしまう可能性がある。読者である自分が「山田はここで市川をこういう理屈で好きなったんだ!」と思うこと自体、陰キャ的な思い上がり、妄想というか、読者である自分にとって都合の良い理想を山田杏奈という存在に投影しているだけなのではないかみたいな脳内裁判が始まるんですよ。「市川は少なくともモデルとか偶像ではない山田を見ようとしているのにお前は理想を投影するのか???????」みたいな、「お前、つまり俺はただ自分が全うできなかった青春を、過去のルサンチマンを僕ヤバという漫画で癒しているだけなんじゃないか??????」みたいな、そんな自己批判が始まるんですよ!!!!!!!!

大河内

多分読んだら自分も思いっきり理想を投影しちゃいそう。青春疾患抱えているので…自己批判できるだけちゃんと自分を見つめられてエライよ!

えのき

だけど僕ヤバという漫画はそうやって自己批判を読者がしている間にもどんどん先の領域に展開していくんですよ。二巻終盤あたりから毎回毎回、市川と山田の交流というのは読者の想定を超えた距離の縮めかたであったり、親密さを見せるんですよ。でも僕ヤバってまだ二人でデートして手をつなぐ、とかすらしていないんですよ、こ、殺してくれ……
でも市川と山田は本当にゆっくりと、でも確かに「陰キャ」「陽キャ」っていうくくり、先入観を超えて「市川京太郎」「山田杏奈」という互いを知り、惹かれ、関わろうと手を伸ばして確かに1日1日を過ごしていくんです。
話はずれましたがそんな話です……くっ……こ、殺してくれ……

大河内

(この人女騎士みたいだなぁ…)

女騎士えのきの語りは止まらない…更なる「僕ヤバ」の特徴についても聞いてみよう…

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