二人の関係と大人になっていくこと『僕の心のヤバイやつ』

はい、どうもこんにちはえのきです。

マンガクロスで連載している『僕の心のヤバイやつ』こと僕ヤバが現在進行形でヤバイ。

毎度のことながら僕ヤバを読むと『陰キャ』というラベルに自分自身を退避させ、人との関わり自体少なかった市川が『陽キャ』とラベルを付け、憧れながらも交わることがなかった山田と徐々に距離が縮まり交流する様を見るたびにあまりの眩しさとコミュニケーションの繊細さ、人の心の揺れ動き、『気持ちの話』が展開されていく様に唸ってしまいます。

 初期の市川と山田が互いに好意をもち、『両片思い』になり、「もう頼むから付き合ってくれよ!」と読者を絶叫させている魅力も現在進行形で凄いのですが、『僕ヤバ』で描こうとしているコミュニケーションの深化が初期の図書室で展開されていたような『二人だけの世界』とはまた変化があるのがここ最近の展開は顕著に感じますし、『僕ヤバ』という作品のテーマ性を強く感じます。

ラブコメというエンタメ性の側面「ではない」僕ヤバについて

表現について悩んだのですが、語る範囲をある程度限定するためにこう表現させてもらいました。
もちろん、これから書いていくようなことについても『ラブコメ』というジャンルが内包することであるのですが、「僕ヤバはめっちゃ良いラブコメですよ……!」と知人に力説するテンションでやると、どうやっても「付き合うの? 付き合わないの?」という駆け引きの魅力を聞いた人は想定してしまうし、その観点だけで『僕ヤバ』を捉えようとするとここ数巻の『僕ヤバ』という作品の面白みについてパワーダウンしているように感じてしまうと思うからです。
「付き合うの? 付き合わないの?」というラブコメで提示される問いについては正直なところコミックスを最新まで読んでいる読者にしてみれば、もう答えは出ている段階になっています。というかとっくにその答え出てる。フルオープンになっている。
だからこそ、その観点で『僕ヤバ』という物語を読み解こうとするとどうしても取りこぼしてしまう要素があると感じているからです。

一応ですが、大前提として『僕ヤバ』の「付き合うの?付き合わないの?」という問いとそれについての回答の提示は圧倒的に強い作品です。
2巻中盤あたりから読者は毎回の更新で市川と山田というメインの登場人物の『両片思い』といえるシチュエーションにヤキモキしていることがほとんどだし、それが初期僕ヤバの魅力として大きな柱ではありました。

その上で、現在の僕ヤバは『市川京太郎という少年が山田杏奈という他者との恋愛を通じて成長、大人になっていくということ』に大真面目に取り扱い、描いている作品として凄まじい、ということを伝えていきたいです。

市川京太郎という存在の美点と欠点

主人公の市川京太郎というキャラクターの魅力、美点として私が思うものとしては『献身』『利他的』といったことがキャッチーなポイントとしてあると思います。もちろん連載当初のフックとしては『陰キャ』といった要素がありましたが、その『陰キャ』という要素を掘り下げていった結果、キャラクターの骨子として確立されたのは自分のことよりも山田という想い人の気持ちを常に慮って行動する様かなと。

序盤、シナリオ上特に印象的に描かれるのは市川が山田への好意を実感する一巻の終盤エピソードでしょう。
体育の時間、バスケットボールがあたり鼻血が止まらなくなってしまった山田。市川はその様を見てほとんど衝動的に駆け出しますが、保健室のベッドの下でただ身を隠すことしか出来ない。怪我が原因で仕事にいけないことや、そんな風に原因を引き起こしてしまったことから泣く山田の様子に市川自身涙を流します。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』1巻 Karte.14僕は何も出来ない(秋田書店) より

このエピソードで描かれるのは山田の気持ちを市川なりに想像し、山田の悲しさや悔しさへの共感、共鳴です。そんな相手の気持ちになって考えることが出来ること。誰かの痛みに思いを馳せることが出来ること、そのために何かをしたいと思うこと、それが市川の美点だと思います。
自分がどうしたいか、の前にまず山田にとってどうなのかを考える。
そんな市川の人に気づかれにくい魅力は、山田が関わることで徐々に山田にも伝わります。市川が自分の利益に向けた打算ではなく、ただ山田に対して「なんとかしたい」といった行動は山田にとって(それが直接的に理解されることばかりではないけど)の魅力になり、山田もまた市川に好意を持ちます。

ただ、その市川の長所は短所と裏表の関係です。
市川は山田などの他者について強く想像を働かせられる、優先できる一方で自分に対しての価値の見積もりがとても低いです。

山田との距離が縮まるにつれて、それは時に問題を引き起こします。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』3巻 Karte.42僕は利用された(秋田書店) より
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.60僕は楽しいのに(秋田書店) より

三巻で、市川が山田に南条避けのために『利用された』と誤解してしまったエピソードや、四巻から五巻の市川が秋田に帰省した際の一連の骨折エピソードなどはその際たるものでしょう。

山田にとっては、市川は既にとても大切な存在で市川が思うようにどうでも良い存在では既にないのに、市川はまだ山田にとって自分の重要性を確信できていない。
自分とのコミュニケーションが原因で市川を傷つけてしまうことは、とても重大で、罪悪感を持ってしまうインパクトのある出来事ですがそこに対して市川はそれまで山田に対して抱くことができていた想像力が機能していません。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』3巻 Karte.43僕は山田が嫌い(秋田書店) より

三巻での誤解は市川の山田と近づきたい、もっと親しくなりたいという『本当は欲しくたまらないのにどうせ手に入らないから嫌いになる理由が欲しかった』という自分の気持ち、欲望を自覚する形で山田との関係修復に至りますが、この時点では根本的な山田に対してのアンサーにはなっていませんでした。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.63僕は受け止めた(秋田書店) より

その後、骨折エピソードでの秋田けんたろう(秋田犬キーホルダー)を見つけてからの一連の流れで再びそこについては触れられますし、そこで改めて『嫌われるのが怖い』という感情が山田と自分は同じもの=似ているということを見出します。

 それぞれのエピソードの問題の根本は一つ一つの誤解や失敗ではなく、そこに対しての市川自身の心、という風に意味づけがされているのが僕ヤバのコミュニケーションを描いた作品として白眉なところであるように思えます。
単純な行き違い、失敗についての埋め合わせをしてOKではなく、市川が山田への好意を自覚し、近づこうとするたびに市川は自分の気持ちの根本と向き合います。

「自分がどうしたいか」どうしたって避けては通れない『自分』

五巻の最後、市川はおねえと話している時に『自分がどうしたいか』をこぼします。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.71僕は山田と(秋田書店) より

市川にとってこれを自分で認める、というところまでいくのは大変な困難だったと思います。
『僕は山田を好き』ということと『僕は山田とつきあいたい』というのは似ているようで違うことです。前者は市川が畢竟、山田と関わらなかったとしても「好きだなぁ」と思えば完結しますが後者はそうではありません。
どうしたってそれには『自分』が山田と関わります。
それはそれまで市川が願い、実際に行動し続けてきた「山田が幸せでいてほしい」といった類の望みとは根本から異なります。

もちろん、読者目線ではそれ自体が今現在の山田の願いである、ということは理解しつつも市川にとってはそうではありません。
(それ自体は市川も徐々に違うとわかっていましたが)山田に他の好きな人がいる可能性や、もし市川が好きだったとしてもおねえの言うように「心だって変わる」ことが起き好きな人が市川でなくなる可能性だってあるわけです。

 だから『つきあいたい』というのはそれまでの市川の利他的な行動指針のような『山田のため』ではありません。
「自分がどうしたいかだよ」というおねえの言葉の通り、『市川がどうしたいか』すなわち『市川(自分)のため』の気持ち、願いです。

 僕ヤバの面白さの一つがここにあると思います。市川と山田が両思いになったら付き合えるのだとしたら、もう僕ヤバは二巻で完結しています。
それでもそうならなかったのは、その気持ちをどう形にしていくか、どう向き合っていくか、を描いているからに他ならないと思います。

山田に向き合える自分になるということ

山田からの好意への確信は市川の中でだいぶ初期に起こります。ですが、市川が向き合っているのはそこから更に先。自分が山田という存在と付き合っていいのかという葛藤です。
『好意がある』ということと『だから付き合いたい』はそれぞれ別の事柄でその上で『自分が一緒にいても良いのか』という考えがある。

当初、市川にとって山田は『陽キャ』で『クラスの人気者』で『殺したいような人』でした。それらのラベルは山田と関わるうちに市川の中で消えていき、山田は市川にとって尊敬する人になっていきます。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte.81僕はお邪魔した(秋田書店) より

山田はモデルで、モデルだからではなく、その仕事に対して熱心に取り組んでいて仕事を全力で楽しんでいます。自分にとって大切なことを、努力していることだということを認めています。自分に対しての誇り、自信を持っています。

 市川はそんな山田と比較して、自分に対して自信がありません。中学校受験失敗から、凶悪事件系の書籍への興味から新しい環境のクラスメイトたちに引かれたことなど、色々なことをうまく出来なかったという気持ちを払拭しきれていません。

 そんな市川の感情を揺れ動かす存在があります。
一つは南条(ナンパイ)。
一つはもう一人の市川であるイマジナリー京太郎。

 南条は一巻から登場していましたが、市川にとって明確な恋敵であり、山田に好意を持つ存在です。
初めは市川にとっての第一印象同様ナンパな人として描かれていましたが、山田のイメージが変わっていくのと同様に、彼もまた市川の一面的なイメージだけで語れるわけではない、山田に対しての(市川とまた性質は違えど)単純な遊びではない好意を持っていることが明らかになっていきます。
南条もまた市川とは違えど、山田に対してアプローチをしていきます。
それは市川にとって自分自身の山田への献身だけではない『好意』を自覚することだとも感じます。
(メタ的にはそもそも山田が好きなのは市川なのですが)市川が自分自身をどうでもよく、山田が幸せであればいい、というのならば極論、山田と付き合うのは市川でなくてもいいはずです。市川でない誰かが山田と付き合って、山田が楽しく過ごすという可能性自体はどこまでいっても存在します。

 だから、市川が南条に何かしらの対抗心や、山田への独占欲を感じる時、それは「僕は山田とつきあいたい」という気持ちと直面することになります。
山田にただ幸せになってほしい、だけではなくてそれによって自分もまた幸せになりたいと思う気持ち、それが市川の心の動きでしょう。

 そんな市川を応援する、鼓舞する存在がイマジナリー京太郎です。
彼は市川のもう一つの心自身、まぁ要するに市川の自問自答の擬人化ですが、作中で山田から借りたマンガ『君オク』の濁川君ととても似ています。それは市川の理想の自分といっていい姿かもしれません。
「こうであったら山田と釣り合いが取れる、山田に恥をかかせることなく、気兼ねなく付き合える」という理想の姿だと思います。
実際に、市川は大人のなりかけで、声変わりもしていていつかイマジナリー京太郎のような人になれるかもしれません。中学二年生で成長期ですから。

 でも、そんな風に市川が成長するまで時間は待ってくれません。
市川同様に待ってくれない時間=卒業が迫って南条もまた本気を出して行動を始めます。そして市川自身の心もそんな悠長ではありません。
だから市川は(実際には山田の気持ちの問題なので、問題ないかもしれないけど)そこに葛藤し、イマジナリー京太郎とたびたび対話をすることになります。

 市川は市川なりに山田に対して、自分が付き合いたいという気持ちを自覚したうえで行動していきます。映画館に行ったり、山田の仕事現場に行ったりします。
そうして、卒業式での在校生代表の祝辞を言うことになります。

 市川がなぜ祝辞を言うことを先生に頼まれて引き受けたのか、というのは山田に胸を張れる自分を見せたいから。
市川の「いいなー」と好きなポイントとして、山田の仕事の規模に見合う自分になろうとするのではなく、「山田のように胸を張れる自分」になろうとしているところだなと思います。もちろん、色々考えてその人なりに「これぐらいデカイ何かを成し遂げないとダメだ」と決意するのはそれはそれで大切なことですが、市川の場合、山田が「モデルだから」とか「クラスのカースト上位だから」とかで好きなわけでない、ということが積み重ねられたうえでの市川の「山田と釣り合っていない気がする自分」なので自分に胸を張れる、という『気持ちの問題』として向き合うのがとても丁寧だなと。

自分自身との折り合い、山田と付き合いたいと思う自分を好きだと思うこと

そして一つの節目としてある回がKarte.84『僕は大丈夫』についてです。
卒業式当日、直前で祝辞の原稿を忘れてしまった市川。それは側から見れば『ちょっとしたトラブル』程度の大したことではないかもしれないけれど、市川にとってはやはり大問題です。
市川にとって祝辞、それ自体は先生に頼まれたことで(南条とはある意味縁がありまくりですが)卒業生たちには特別思い入れはありません。市川にとってはその場で自分自身全力を出して、胸を張ってやってみせる、ということが今の、これからの自分にとって重要だと感じていることです。
それは過去に挫折して失っていた自分に対しての自信を取り戻すための一つの節目だからです。

 だからこそ、そこで想定外の事態で上手くできない可能性は市川にとって大きなプレッシャーになります。自分で決めた再起(傍目から見たらもう十分すごい歩いてるんですがね市川)の一歩が失敗に終わる可能性だからです。信じようとした未来が「やっぱりダメ」と突きつけられる可能性だからです。

それでも、市川が動揺しながらも異変に気づいた山田に思うのは助けを求めることではありません。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte84僕は大丈夫(秋田書店)より

これは純粋にプレッシャーではち切れそうなのもあると思いますが、それ以上に『山田に応援されたから頑張る自分』ではない自分にしたいのかな、と思いました。山田にそう望まれたから頑張る、ではなくて自分でそう決めたから頑張る、という風になりたい、そんな想いなんじゃないかと。
市川が身構えるようにして聞いた言葉は「頑張れ」ではありませんでした。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte84僕は大丈夫(秋田書店) より

市川にとって予想外、もしくは気づいていても認識しないようにしていたのはとっくに山田にとって、市川はそこで挫けるような人ではないという信頼があったことでしょう。
市川にとって「あの頃の僕はもういない」と思っていた輝かしい小学生時代は過去ですが、それでも今の市川には自分でも否定できないくらい積み重ねてきたものがありました。
山田、山田と決定的な関係の危うさを修復した時の秋田けんたろうのキーホルダー、自分を応援してくれる姉や先生、見守ってくれるクラスメイトたち。
もう十分すぎるほどに、市川は色々なものを積み上げている。

 それでも、祝辞直前、最後に市川に語りかけるのは山田たちではありません。
イマジナリー市川、市川にとっての理想の自分、自分自身が市川へ語りかけます。
市川のことを誰よりも好きなのは他の誰でもない自分だと。
山田と付き合いたくて、それでも自分に自信を持てなくて、自分を好きになれなくて、理想には程遠くて、それでも理想に近づこうと一歩踏み出す『今の至らない自分』を誰よりも応援し、好きだと言うのはそんな『未来の理想の自分』なのです。
なんと言う自分自身との融和……ウオー泣いてしまう。読み返してまた泣いた。
市川のすごいのは、「ダメな自分を受け入れる」というある種の妥協としての折り合いではなく「理想に手を伸ばしつつもまだ届かない自分」というとても難しいバランスの変化しつつある自分自身を肯定することです。

僕ヤバはそんな変化のうまく行かなさ、難しさを描きながらも変わっていくことをとても肯定的に描き出してくれる作品だと思います。

その難しいバランス、『変化』を肯定するエピソードとしてKarte.65『僕は大人のなりかけ』があります。
山田との距離が近づく中で、「女友達と同じ感覚で接しているのかもしれない」という仮説がある中で市川が声変わりをし始めます。
周囲の人間関係が変わり、市川自身が変化をしつつあるタイミングで、彼の意識とは関係のない急激な『変化』です。

声変わりは、ある意味で市川に自分自身が「男性である」ということを突きつけてくる変化なわけです。
市川にとって「自分は女友達と同じ感覚で接せられているのかもしれない」というのは山田に恋愛対象としてみられていないのではないか、という不安であると同時に自分を守る防護壁でもありました。変わらない限り、恋愛的な成就は別としても山田との信頼関係を保つことはできる。
「男性」として成長してしまうと、「女友達と同じ感覚」では関われないかも知れない。それが市川の声変わりに対しての恐怖です。

市川にとって目の前の信頼関係を信じるということは、3巻であった山田とのトラブルの時のようにそれだけでとても勇気のいることです。でも、そうして自分の壁を超えて信じた先でも、またその関係が失われるかも知れない時がくる。
「いつか」は来る、でもその「いつか」が自分の気持ちに関係なくやってくるというのは市川にとって覚悟をしていても、できるならば避けたいことでしょう。
だからこそ、山田にもなかなか声変わりを教えられなかった。

 でも、山田はそんな変化を「いいなぁ!」と言うんですよね。市川の悩みに気づいてないディスコミュニケーション、でもだからこそまっすぐなこの言葉は市川の不安を払拭させる言葉になる。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.65僕は大人のなりかけ(秋田書店) より
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.65僕は大人のなりかけ(秋田書店) より

今振り返るとそういう市川の変化も含めて自己肯定するために声変わりのエピソードなんかも入れてたんですねぇ……と構成の上手さに唸ってしまう。

 7巻の原さん達とのダブルデートではそのようなエピソードを経た後だからこそ、変化を恐れていた市川自身が他人の変化を後押しするという展開が描かれています。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』2巻 Karte.16僕は心の病(秋田書店)
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』7巻 Karte.88僕は何を言っているのか(秋田書店) より

というように、変わりたい、大人になりたいというスタンスに対してとても前向きなメッセージを発信している作品だと思います。

自分との折り合いだけでなく、自分を取り巻く世界と折り合いをつけていくこと

そう言った観点で僕ヤバを捉え直すと、驚くほどに『大人になること』というのが初期から通底するテーマとして存在することに気づきます。

一巻の山田がバスケットボールの事故で仕事に穴を開けてしまったことを悲しむ様子を見た時から市川はそれを強く意識しています。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』1巻 Karte.15僕は抱きしめたい(秋田書店)より

最近ではそれだけでなく、『大人になること』→『山田と付き合えた時、どう自分達を取り巻く世界と折り合いをつけていくか』という観点にまで物語の視点が映っているように感じます。
市川自身の自分への自信のなさ、については段階的にその折り合いが描かれ、卒業式でのエピソードで一つの区切りがついているように思います。だからこそ、市川は自分が山田を好きで付き合いたいという気持ちと向き合えていて、かつ山田が自分のことを好きだということを自覚しています。

『僕ヤバ』で描かれている『大人になること』とはなんでしょうか?
それは山田の家で鍋を食べている時のやりとりにそれは端的に示されていると思っています。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.63僕は受け止めた(秋田書店) より
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.63僕は受け止めた(秋田書店) より

自分を取り巻く、自分を大切にしてくれる世界を大切に出来ること、それが僕ヤバで描かれる『大人になること』なのではないかなと。
その観点見直すと、6〜7巻+現在連載分で市川と山田だけではない周囲の世界にまで描く範囲が広がっているということにより納得感が出てきます。

市川と山田が付き合うこと、距離を近づけることで起こる変化と周囲の世界とどう折り合いをつけるのか、という話を行おうとしているのではないでしょうか。

6、7巻では山田の仕事での人間関係や、お泊まりイベントを経由しての山田の両親との関係性などにも触れられていきます。
市川と山田の二人だけの関係、であれば図書室での交流だけで済んでいるところですが、ここにきて『山田の仕事』にもまた別の重要性を帯びていきます。

それまでは山田の仕事に対して市川は『自分とは違う』という距離やコンプレックスを感じる要因であることがしばしば描かれてきました。

雑誌に乗る山田を見て『全く違う世界の人間』と感じる市川
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』1巻 Karte.5僕は遭遇した(秋田書店)より
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』5巻 Karte.67僕は直視できない(秋田書店)

自分自身への自信が足りていない時期の市川にとって山田の仕事は山田が自分よりも少し大人であることの一つの証拠であり、彼女に対しての引け目である一つの象徴でした。
ただ、それもまた市川の自分への折り合いと共に徐々に変化していきます。

卒業式の答辞と前後する形で、山田の仕事を見学するエピソードでは、その距離について劣等感を持ちながらも『仕事を辞めた普通の中学生としての山田』の想像をして仕事に連れ戻す市川の様子が描かれます。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte.80僕はおままごと(秋田書店)
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte.80僕はおままごと(秋田書店) より

市川の長所であり短所だな、というところとして山田と付き合うことを考えた時に『付き合った先』も考えてしまうところがあると思います。
山田という存在について真剣に考え、それ故に山田が一生懸命な仕事が上手く行かなかった時に我がことのように悲しめるという反面、自分が山田と付き合うことでそれが山田の仕事に対してデメリットになるのではないかといったことや、そんな風に『モデルや女優の仕事を頑張りたい』という山田との差を感じてしまいます。
そういった事柄がKarte.84『僕は大丈夫』で市川の内面の問題としては一つの解決を見せますが現在の僕ヤバはその先、いわば『実践編』のような進展をしているのだと思います。

市川の内面としての折り合いはほとんど付いている。
しかし、『モデルや女優の仕事を頑張りたい山田』とどう付き合っていくか。

それについての視点は山田のマネージャーの諏訪さんからも言及されています。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte.81僕はお邪魔した(秋田書店)より

実際に市川が好きだと思っている『モデルや女優の仕事を頑張りたい山田』と付き合った後、『山田と付き合い続けていく』ためにはその両立が不可欠な事柄として立ち上がってきます。

初期の頃のように市川と山田が学校内だけでの関係であるのならば、どのような関係性であっても問題はありません。
しかし、学校外になってくると山田の仕事や家族といった『山田を取り巻く世界』も市川と関係してきます。

『僕ヤバ』は読み返してみると図書室での関わりがメインの時代から意外なほどに世界との折り合いに対しての意識が強いです。
図書室へのお菓子の持ち込みはルールとして禁止されるし、二人乗りについて市川は法律の意識が抜けません。

桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』2巻 Karte.30僕は溶かした(秋田書店)より
桜井のりお『僕の心のヤバイやつ』6巻 Karte.76僕は放課後誘った(秋田書店)より

『子供』である時=学校内で守られている時は、それを「バレなければOK」で済ませることも出来ますが、そこに責任を求められる『大人』ではそうはいきません。

7巻では宿泊イベントでの山田の両親とのやりとりや、豚野郎こと香田ニコでの郎でのやりとりなど山田を取り巻く人々との関係。
8巻収録分になるであろう現行連載分では新たなクラスでの人間関係といった二人を取り巻く関係や市川と足立の関係など市川自身を取り巻く世界との関係の話が展開されます。

初期とは違う、ただ近づこうとするだけでは上手くいかない関係をどう折り合いをつけて育んでいくか、それぞれの人間関係が一枚岩でなくそれぞれの考えが丁寧に折り重なっているバランスが今の僕ヤバの見どころの一つだと思います。

大人になること=適切な距離を取ること=周囲の世界と折り合いをつけること
という風に描こうとしているのだと思います。

「中学生の二人がこんなに世界に真剣(ガチ)なのにそれを読んでいるワイはクソや……!」みたいになって読んでて打ちのめされます。勘弁してくれんか?
と思わず初期とは違う方向性で叫びそうになりますが、両片思いで『二人の世界』を掘り下げていった先にこのように周囲の人間関係も繊細に描いていこうとしている今の『僕ヤバ』はまだまだ目が離せないなと。

それがあくまでの二人の関係を深くしていこうとした先に、自然と二人を取り巻く世界がある。

僕ヤバの現在最新話はKarte.110で8巻収録分はおそらくKarte.114ぐらいまでだと思うのですが、市川が距離=大人になること=周囲との折り合い、という観点を持ってどのように山田との関係を再定義して、関わっていくのか。これからの僕ヤバにも依然として目が離せません。

アニメ化も決まって現在進行形で盛り上がっている『僕ヤバ』、市川と山田を見て「もう付き合っちゃえよ!」と実況するのも最高に楽しいですが、少し視点を変えて二人のスタンスの変化なども楽しむと作品をまた別の楽しみ方を出来るかもしれません。

それはそれとして最新話読んだら目が眩んで言葉を失ってしまいました……毎度毎度ひたすら情緒を揺るがす話を連発してくる僕ヤバ……ヤバすぎ。

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