人間は右目と左目で違うものを映されたらどうなるのだろう。
どうやらそういう映画があるらしい。
真に異常と呼ぶべき現象が起こるのは、この直後である。私は最初、自分の目がおかしくなったのかと疑った。思わず何度も瞬きをして、両目を擦り、左右の瞼を順番に瞑ってみて、ようやく自分の視界に何が生じているのか、ほとんど戦慄にも近い感覚とともに、まだ全面的にではないが、理解した。(中略)それは普通の二重写し=オーバーラップとは、明らかにどこか違っていた。もっと見えにくいのだ。一方をしかと見ようと意識すると、もう一方が見えなくなってくる。そしてやっと気づいた。3D眼鏡の左目と右目には、異なる画面が映し出されていたのだ。こればかりはこの映像を見てしまった者にしかわかるまいが、それはおそろしく奇怪な体験だった。
佐々木敦『ゴダール言論』新潮社,2016年,71頁
引用したのは佐々木敦によるジャン=リュック・ゴダール監督『さらば、愛の言葉よ』についての文章である。
ゴダール作品を多少なりとも見たことがないわけではないし、「ゴダールが撮ったヤバい3D作品」の存在は知っていた。しかし本作は見たことがなかった。正直悔しいと思った。どれも上記で引用したようなやや高揚したテンションの語り口にそそられた。自分は実際の上映を見ていない。
初公開時に銀座辺りで見た方も少なくないだろう。が、当時わたしは田舎のボンクラ大学生だったため、ゴダール作品など遠い世界にのほほんと生きていた。2022年にゴダールが逝去し、追悼上映などがこれを機に行われるかと思いきや本作は含まれておらず、今後も3Dというその特性上、この作品に限っては上映される可能性は低いだろうと思われる。
だからこそ、やはり気になる。「左目と右目には、異なる画面が映し出され」る? 「戦慄にも近い感覚」? 引用した文章で書かれているようにさぞやフツーの映画では味わうことができず、見た者しかわからない奇怪な映像が繰り広げられているに違いない。
なんと『さらば、愛の言葉よ』はAmazonプライムビデオでも配信されている。だが当然配信されているのは2D版である。当該シーン(14分30秒ごろ)を見てみると単に2つの画面を焼き付けた(これもこれで奇妙な場面なのだが)映像にしか見えない。
これがそんなにすごいのか? そもそもゴダールがわざわざ本作のために3Dカメラを自作し、3D用の作品として企画した作品をこのまま配信の2D画面で見ていいのだろうか。PCの小さな画面で見たことにしてしまうのがなんとも苦々しい。
幸いなことに本作『さらば、愛の言葉よ』はBlu-ray 3Dが発売されている。
しかし、「Blu-ray 3D」である。『アバター』『ゼロ・グラビティ』で盛り上がった3Dブームも遠くはるか。個人で映画館ではなく、家で3Dを見る手段はどうやらかなりめんどくさくなっているらしい。
Blu-ray 3Dを視聴する手段は現状、大まかに3つだと思われる。
1 3Dテレビ
なんと2017年、家庭用テレビに3D対応の新製品はなくなり、2023年現在新品で入手することが不可能になっている。
17年テレビから3D対応機種が無くなった理由
https://av.watch.impress.co.jp/docs/topic/1064070.html
ヤフオクジモティーメルカリ…その他リサイクルショップなどで~2016年までに生産された3Dテレビを中古で入手するしかない。
2 HMD
いわゆるVRchatなどを目当てに既に所有されている方も多いのではないだろうか。しかしなんとHTC Viveは3DBlu-ray対応しておらず、PSVRも現行モデルのPSVR2になると3DBlu-ray機能が削除されているらしい(!)。米GOOVIS USA社から発売されているGOOVIS Pro 2021が3D対応しており、映画好きの間でも話題となったがやはり10万円という価格が厳しい(購入された方、感想をお願いします)。
3 3Dプロジェクター
比較的最新型でも3D対応のモデルも多く、安心できるが3D機能をいまだに搭載しているような高性能なものは当然高価。狭い部屋でも使いやすい単焦点で使いやすく、かつ3D対応のものが2021年に出て(↓)話題になったが、現在入手するのが難しい。
以上の選択肢の中から、もっとも安価で実現可能なのはPS4+PSVRである。だがPSVRの3D性能はかなり怪しく、ましてBlu-rayとしても頼れるものではないというネットの意見を多く目にした。やはり少々手間がかかるが、3DTVを入手することに決めた。
3DTVの選び方
テレビがあるからといって安心というわけにはいかない。3DBlu-rayを再生するのに必要なのは
3DBlu-rayソフト 3DTV 3D対応のHDMIケーブル 3Dメガネ
これら4つがそろうことではじめて飛び出る映像を目にすることができる。HDMIケーブルはよほど古いものでなければ大丈夫だが、3Dメガネにはかなり注意が必要である。
初期の3DTVはアクティブシャッター方式の3Dメガネを採用しており、いわゆるケーブルで充電するタイプのものが用いられていた。左右の目用にあわせて用意した映像を交互に表示するというハイテク感満載の代物なのだが、10年近く前のものとなるとどうやら電池が死んでいることが多いらしく、必然的に3Dブーム末期のパッシブ型3Dメガネ(いわゆる映画館で配られるのと同じ)に対応した3DTVを狙うことになる。
そして今後も普段使いしていくことを考えると4K液晶テレビであることがのぞましい。だが、画面割れやリコール問題など考慮しなければならない点も少なくない。いくつか機種に狙いをつけてヤフオクとジモティーとメルカリとにらめっこの日々が続く。
運よく狙いをつけていたパナソニックのTH-49CX800が出品されていたので入手。ノイズなども特になく、使用感も少ない完動品だったのは本当に運がよかった。
さっそく購入したので件のシーンを見ていこう、となる前にせっかくテレビからそろえたのにゴダールだけではもったいない。3Dを家でゆっくり色々見たい。しかし3DTVと同じく3DBlu-rayも当然、軒並みが廃版になっている。公開時に3Dで上映された作品もソフト化された際に3Dが収録されることも数少なくなっている。たとえば『STAND BY ME ドラえもん』は国内では未発売だが、海外版のみBlu-rayが発売されている。
『アナと雪の女王2』などは3D表現に力を入れており、劇場公開時から話題になった作品ではあるがこちらも海外版にだけ3D収録となっている。
かなり冷遇されがちな日本版3DBlu-rayでありながら、そのなかでも歴史的な名作が3DBlu-rayとして運よく(?)リリースされている。
それが1953年に公開された大手スタジオ初の3D作品、 アンドレ・ド・トス監督『肉の蝋人形』である。
70年以上前の作品ながら、その演出は3D効果を狙ったものにとどまらず怪奇映画としても上質なものである。それはどういうことか。3D映画を見ていく上で重要視されるのは、単なる飛び出し表現が優れているかどうかだけではなく、むしろ「奥行き」そして「質感」がいかに効果的に、物語上無理のない形で表現されているかである。
『肉の蠟人形』では『アバター』などと同様に視線が吸い込まれるような縦の構図が数多く用いられる。そもそも登場人物が角をよく曲がる。闇の中へ、霧の中へと消えていく。燃え盛る炎、霧がかかった夜の町、雨が降った後の街頭の光が地面に反射し……それらが3Dによって質感を持って浮かび上がる。
そして本作の主題でもある蠟人形である。蝋人形作家であった殺人鬼は、死体を蠟人形に閉じ込めることでリアルな製作を可能にしていた。生きている登場人物ではない蝋人形。しかもその内部には死体が。実際に蠟人形内部に役者が(死体が)埋め込まれているかどうかは3Dであっても画面からは判断することはできない。しかし蠟人形の表面は怪しくきらめき、浮かび上がる。蠟人形作家は殺人ゆえに追われる身となり、終盤、自身の醜い素顔をマスクで隠していたことが明らかにされる。生きている人間の顔も人工的に作られたマスクだったなら?
本作の立体感が独自のものなのはこの点である。隻眼で立体視ができなかったはずの監督のアンドレ・ド・トスは、3Dの効果を奇妙に使いこなしながら、醸される不気味の谷現象を逆手に取ったような演出を仕掛けている。3Dは飛び出しだけが、リアルであることを目指すだけが「すごいこと」なのではない。映るすべてが偽物であることに自覚的であることもまた「すごいこと」につながるのだ。ゴダールも『さらば、愛の言葉よ』Blu-ray収録の特典インタビューで以下のように語る。
なぜ3Dに興味を持ったと思う?
それはつまらないからだ。
3Dは実につまらない。
平らな画面なのに平らでないように見せるなんて馬鹿げている。
3D演出についてあらためて確認した上でもう一度ゴダールに戻り、『さらば、愛の言葉よ』を実際に3Dで見てみよう。
物語の内容自体はいつものゴダール作品らしく、かなり珍妙な、圧縮、省略のされすぎでとても商業販売された映画作品とは思えない。さっぱりなにがなんだかわからないとお手上げになってしまうのではなく、3Dに関する面でだけ冷静に見ていきたい。
本作でゴダールは鏡面、水面、車のワイパーといったここぞとばかりに立体演出をわかりやすく用いている。ポスタージャケットなどに用いられている「柵に手をかけた女」のカットもわかりやすい遠近感のためのカットだ。
単に奥があるのではなく、手前も同時に強調されるような入り組んだカットになっている。さらに登場人物たちは手を伸ばしたり、水をこちらに噴射させたり、これでもかと純粋な飛び出し演出にも邁進している。
そして当該シーンを見てみよう。走り出す女、そのままの位置で動かない男。横に引き延ばされる画面。一画面内でセルフクロスカッティングがされるような印象が起こる。しかしそれがすべて同時に視界に叩きこまれる。『市民ケーン』のパンフォーカスに近い効果といったらいいのだろうか。過去が偏在しつつも、進行し伸長している。ほかにロバート・ゼメキスの3D作品『Disney’s クリスマス・キャロル』での廊下がひたすら伸び続けるドラッギーなカットなども想起した。
かなり悪くない。これだけ身構えていてもなにかがはじまったの???と困惑させられ、ドキマギさせられる感覚は確かに味わうことができた。なにしろ右目を閉じると映像が消え、左目を閉じるとまた別の映像が消えるのだ。物語がどうこうではなく、遊戯的な側面が楽しくてたまらない。そして当該シーンだけではない。この作品はこれだけ意味不明な作品であるにも関わらず軽妙にカットが割られ続け、わずか70分、飽きるよりも先に水と光を浴びせられ続ける……。一度も食べたことないものしか出てこない、けれど確実においしいモノしか出てこない海外のレストランに訪れたときのような、安心できないのに、なぜかそれが安心できるという奇妙な感覚に包まれていく。こんな作品はほかに存在しないだろう。
ゴダールも見れたし、3D映画をこれからも楽しんで行こう、無事にこれでめでたしめでたし……。とはならなかった。
3Dの問題点
1 頭痛
まず長時間視聴すると頭が痛くなる。視差=飛び出しがかなり強い表現の作品を浴びるように見ていると本当に頭が痛くなる。これに関してはおとなしく休憩するしかない。また3Dはかなり個人差がある。視差の強調に敏感な人もいればそうでない人もいるらしい。当然だが、映画館で3D作品を見ていて頭痛の経験があるような人は3DTVの購入は控えた方がいいだろう。
2 家3Dメガネ問題
もちろん家でメガネをかけ続けると合間合間で食事をすることになるのだが、とてもじゃないが食事しながら視聴には向いていない。またさらにスマホの画面は独特の虹色に光り、まったく見れなくなる。しかしこれに関しては家だとスマホで映画に集中できないという人には利点かもしれない。
3 粗悪な3Dに対する怒り
3D作品を見ていて意外に多いのがこれ。あまりにも粗悪な効果や逆に飛び出し感のなさに失望させられることが多々ある。逆にリドリー・スコット『プロメテウス』のような3Dでこそ真価を理解できる作品との出合い直しがなにより嬉しかったりする。
以上のような難点はあるものの、なにより3Dは気持ちいい。3D特有の、映画が今まさにこの場所、目の前で上演される感覚がある。映画館ではなく家で間近の液晶画面で見ていると、まさにスコセッシが言うように「3Dは演劇と映画の中間」であるかのような、飛び出し絵本を読んでいるかのような感覚が味わえる。これは何物にも代えがたい感覚である。映画館では味わえない、ふれられそうで、しかし決してふれることができない偽りの平面の遠近感をあなたも味わってみてはいかがだろうか。もう一度ゴダールのインタビューから。
3Dというのは単に立体感を生みだす作業だ。
当たり前すぎるが人間というものは何かにふれることで現実だと信じる。
ふれられなければ信じない。つまり3Dの技術者たちは不自然なことをしている
おすすめの3DBlu-ray作品
最後に特に買って良かった3DBlu-ray作品を紹介します。
塔の上のラプンツェル(2011)
「3D映画史に残る名場面」と謳われる灯篭流しのシーンはもちろん、長い髪をつたって這い上がる遠近感たっぷりのアクション、山に囲まれた圧迫感を感じさせる塔など3Dであることを逆算して作られたような演出がたまらない。
肉の蝋人形(1953)
アメリカの大手スタジオ(ワーナーブラザーズ)による初のカラー3D長編映画。当時の撮影風景をマーティン・スコセッシらが解説したメイキングが見ごたえたっぷり。
悪魔の棲む家PART3(1983)
実は3Dの作品を3本も撮っているリチャード・フライシャー監督による館ホラーの傑作。これでもかと飛び出し効果が味わえるが白眉は米国式のこっくりさんシーン。こっくりさんを肩越しの3Dで見せることで、なんだか禍々しい迫力のあるカットになっている。黒沢清のオールタイムベスト作品としても知られており、『CURE』や『回路』に影響を与えたであろうシーンが数多くみられる。
参考文献
3D映像が見たくて、2021年に3Dテレビを中古で4台も買った話 #買ってよかったもの
https://note.com/hachiya/n/nb6b5b85cace1
テレビ選びにめちゃくちゃ参考になりました。
総天然色・魔人スドォの円盤-3D
https://blog.goo.ne.jp/mazin-box
異様な熱量で3DBlu-rayのレビューを続けるブログ。掲示板の盛り上がりと情報量が凄まじい。
海外盤3D-Blu-ray日本語化計画&映画情報とか
https://blog.goo.ne.jp/itou-take
国内未発売の3DBlu-rayなどを数多く紹介しているブログ。こんなものが3Dに!と驚かされるはず。
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