毒親vs美少女!映画『ヴィオレッタ』で親子百合を理解しよう!

皆さん、百合は好きでしょうか?

好きな人はおれと握手!

そんなに好きじゃない人はこれからの人生で好きになれるのでとても幸運です。

そして、皆さんは母娘百合が好きでしょうか??????

ヒトとして生まれたからには誰にでも血のつながりがあり、ゆえに母と娘という二人の関係性は原初の百合であると言えるわけです。

何を言ってるのかよく分からない?
じゃあこれから親子百合を理解するのにぴったりな映画を紹介しますよ!!

本作では露骨に性的な描写は抑えられているので(監督は『私の半生を忠実に映画にしたら、ホラー映画になってしまいます』とインタビューでは答えています!)、『何見てんのアンタ!』と部屋に入ってくるママには『これはアート映画!』と言い訳しながら見るのが良いでしょう。

エヴァ・イオネスコ『ヴィオレッタ』

女流写真家の母アンナ(イザベル・ユペール)は仕事で滅多に家に帰ってこず、母の愛情を求める娘のヴィオレッタ(アナマリア・バルトロメイ)は優しい祖母に育てられながら母の帰りを待つ。ある日、突然帰ってきたアンナは、ヴィオレッタを写真のモデルへと誘う。母親に気に入られたいヴィオレッタはモデルになる事を決心。しかし、アンナの要求は徐々にエスカレートし、大胆なカットを要求される。最初はごく普通のあどけない少女だったが煌びやかな衣装とメイクで次第に大人の女の色香を漂わせ、退廃的な少女に変貌していく・・・

引用元 https://filmarks.com/movies/57133

この作品は『史上最年少でPLAYBOYに載った少女』であるエヴァ・イオネスコ監督の自伝的な映画です。

エヴァ・イオネスコは少女期に母親であるイリナによってヌード写真を撮影されたり、胸や局部を露わにする問題作『思春の森』に出演したりと陰惨な体験をしていて、映画公開の2年前には母親に対しての訴訟まで起こしています。https://www.afpbb.com/articles/-/2917363

そうした予備知識がありますと、映画で描かれる親子関係もそれはそれは最低最悪なモノではと思いますよね?
ご安心ください、実際、胸が悪くなってきますよ!

全員下衆人

この映画ではしょうもないオッサンがワラワラと登場します。
どいつもこいつも父親のいないヴィオレッタの父親代わりになんてなっちゃくれません。
すぐ側に娘がいるのに母親と盛り出すオッサン
際どい写真をアートだとありがたがるオッサン
十二歳のヴィオレッタにセクハラ質問をカマすオッサン
美少女とその母親の映画なのにさっきからオッサンの紹介ばっかりですが、トドメにロリコンのシド・ヴィシャス……と見せかけたよく分からないロリコンが登場します。
アップダイクという名前のこの男、wikiやレビューではシド・ヴィシャス扱いなんですが、実際は親子のパトロンです。
シド・ヴィシャスをモデルにした人物という意見もありますが、どっちにしてもカネでガキを買うカスなので……。

シド・ヴィシャス、もとい謎のロリコンとのシーン 許されない距離感だろ……

ゲスなのは野郎だけかというと、別にそんなことはなく、そもそもアートの名の下に娘を切り売りしているのが彼女の母親アンナであるわけです。

美しすぎる娘は母親を狂わせた――というキャッチコピーが付けられているだけあって、ヴィオレッタは可憐な少女であり、撮影開始当初は屈託なく楽しげに母親の指示に従っています。
母との交流を無邪気に喜ぶヴィオレッタのシークエンスは作中で唯一の癒やしではないでしょうか。ハートフルな部分は開始十分ちょっとで終わるんですが。
 当然ながらそんな仕事をしているせいで、ヴィオレッタは学校ではからかわれ、街を歩けば自分のヌード写真が表紙の雑誌を見る羽目に。少女の心の荒廃を反映するようにお人形遊びをしていた彼女の私服と人相もどんどん子どもらしからぬものへと変わっていきます……。

ごく普通の可憐な女の子が……
デコルテ丸見えになってしまう(ママとも険悪になる)

ヴィオレッタの写真がアートであることは繰り返し語られますが、作中での描写からして監督は1970年代からずっと『そういうのをアートで誤魔化せると思うなよ!』と叫んでいたのでは? と感じます。

……と、このようにヴィオレッタはその美貌ゆえに狂った大人達に振り回されてしまうわけですが、正直キャッチコピーは適当ではないでしょう。

だって大人達は元から狂ってるんですからね、特にお母さんが……!

ヴィオレッタは彼女の映画なのか?

ヴィオレッタの原題は『My Little Princess』です。
私の可愛いお姫様とでも訳すべきこのタイトルからも分かるように実のところ映画の主役は娘ヴィオレッタではなく母親アンナなのではないでしょうか。

この映画、ヴィオレッタの可憐さ以上にアンナの幼稚で哀れなエキセントリックさの方が胸に残ります。

保護者たる母が娘にしたことは『保護』ではなく『支配』でした。
写真家として名前を売りたいという行動目的も、美の追究というよりは周囲からちやほやされたいという底の浅い承認欲求にすぎません。

ヴィオレッタの際どい写真抜きには誰も手を差し伸べてくれなかった辺りからもアンナの実力は推して知るべしでしょう。

普通になりたがる娘に「なぜわざわざ凡人になりたがるの!」とキレ散らかし、AV撮影よろしく「もっと足開いて! 手で隠さないで!」と撮った写真を得意げに「文学的エロティシズム」と言ってのける面の皮は完全にイキる女子中学生です。どうやら中二病は万国共通の病のようで……。

そしてアンナは最後まで、特別な何者かを夢見る少女から大人にはなれませんでした。

大人になれなくても、親にはなれてしまう――アンナとヴィオレッタの関係は母と娘であっても、大人と子どもとは到底言えないものだったのです。

そしてアンナが親となった理由にもまた、ある秘密があり、心を荒涼とさせられます。

アンナの母としての接し方は娘へのべとついた依存でした。
アンナが母親失格だと自覚していながら、それでもヴィオレッタは母に愛されようとしていました。

「近親相姦って何?」
「自分の親と寝ることよ」
「ママと私だね」
というシーンはこの作品と関係性を象徴しています。

親の承認と精神安定のために我が子が濫用(abuse)されることこそが、すなわち虐待(abuse)なのです。

だからこそ、病んだ親子関係を終わらせるためには、ヴィオレッタが変わるしかありませんでした。
終盤に母の『ある秘密』が明かされてからのラストシーンは『束縛からの解放』という祈りに満ちています。

正直なところ、ストーリーラインは平坦なのですが、血の繋がりのどうしようもなさを描ききった点でヴィオレッタは素晴らしく、母のねっとりとした束縛もトッポみたいに最後までたっぷり味わえます。
ありきたりで健全な、そうあるべき親子愛に救われたくないのなら、ヴィオレッタ、あるいは『My Little Princess』に刻まれた呪いのような親子愛に触れてみることをオススメします。

ヴィオレッタを単なるロリータ映画ではありませんし、そうあってはならないものです。
ゆえに、美しい少女だけを観るのではなく、母と娘の関係性を観るという百合的視聴はこの作品を咀嚼する上での助けになるものだと私は思います。

え? こんなドロドロしたの百合じゃないって?

よせよ……百合の定義の話は長引くだろうが……!

それでは、アンハッピー親子百合!

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