難解?それともシンプル? 中年男性激突映画『イニシェリン島の精霊』を7つのキーワードから徹底攻略

第74回ヴェネチア国際映画祭で脚本賞、続く2017年度トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞、さらに主演のフランシス・マクドーマンドに2度目のアカデミー賞主演女優賞をもたらし、その年、映画ファンを最も興奮、震撼させた傑作『スリー・ビルボード』から5年。いまなお演劇界・映画界の最前線に立つ鬼才マーティン・マクドナーの全世界待望の最新作。

©2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
本作の舞台は本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島、イニシェリン島。島民全員が顔見知りのこの平和な小さい島で、気のいい男パードリックは長年友情を育んできたはずだった友人コルムに突然の絶縁を告げられる。

急な出来事に動揺を隠せないパードリックだったが、理由はわからない。賢明な妹シボーンや風変わりな隣人ドミニクの力も借りて事態を好転させようとするが、ついにコルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされる。

美しい海と空に囲まれた穏やかなこの島に、死を知らせると言い伝えられる“精霊”が降り立つ。その先には誰もが想像しえなかった衝撃的な結末が待っていた…。

皆さん、『イニシェリン島の精霊』観ましたか? 観ましたね?!(強い圧)

まだ観ていない方は、こんな記事を読んでいる場合じゃありません。さあ、ブラウザを閉じて、2千円握りしめて映画館へ向かいましょう! 急いで!

もうご覧になられた方、お疲れになられたことでしょう。
マーティン・マクドナー監督の最新作『イニシェリン島の精霊』は、アイルランドの孤島「イニシェリン島」を舞台に、2人の中年男性の苛烈な衝突を描いた作品。
いがみあう人間たちを目にすることは、人の喧嘩をゲラゲラ笑いながら見れる冷血漢を除いては、ストレスが溜まってドッと疲れるものです。さあ、温かいお茶でも飲んで。

 

さて、『イニシェリン島の精霊』は先に述べたように、男二人のいがみ合いを描いた映画です。その点から言うと、マーティン・マクドナー監督の作品は、いずれも人間たちの対立を軸に話を展開させています。

デビュー作『シックス・シューター』(04)では悲劇的な境遇の人々と、空気を全く読まない青年。『ヒットマンズ・レクイエム』(08)は殺し屋と殺される者。『セブン・サイコパス』(12)は愛を与えすぎる男と受け入れきれない男。そして『スリー・ビルボード』(17)は現状を変えようとする女と保守的な町の住民たち。
実に重苦しい題材ですが、マクドナー監督は常にシニカルさを忘れず、ブラックな笑いを全体に塗して「ブラック・コメディ」と言える形に映画を成型していることもまた特徴でしょう。

人間たちの対立を軸にした映画を観る際に、皆さんが一番関心を持たれるのはどこでしょうか? おそらく「決着」だと思います。どちらが勝つのか、正義がもたらされるのか?

しかし、マクドナー監督の映画はカタルシスを伴う決着を観客には与えてくれません。そう、マクドナー監督の映画においては、人間たちの衝突は物語の軸でありながらも、単なる着火点にすぎません。決着と結末は異なるもの。その過程にこそ大きな物語の楽しみが存在しているのです。『スリー・ビルボード』ではその点が特に顕著でした。

その点は『イニシェリン島の精霊』でも共通しています。しかし、これまでの映画以上にアレゴリー(物事を比喩的に別の形で語る表現)が多かったと感じられませんでしたか?単なる「おとなのけんか」映画にとどまらない気がする『イニシェリン島の精霊』。マクドナー監督が意図したこと、あるいは意図せずリンクしてしまったであろう事象について、7つのキーワードを通して映画の全容を掴みたいと思います。

1 「夢見るトドラ」

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映画のオープニング(十字架を背に島を歩くパードリック:コリン・ファレル)を飾る曲です。こちらはブルガリア民謡。なぜブルガリア? と思われるかもしれませんが、ここでは歌詞にご注目を。

「森から風が吹き、オリーブの枝が折れた。その音でトドラは目覚めた。
彼女は怒った。“どうして起こしたの! 素敵な夢を見ていたのに”」

この歌の歌詞は、素晴らしい時間が突然終わらされてしまったことへの困惑と怒りを表しているもの。これはそのまま『イニシェリン島の精霊』の内容へと直結します。

「素敵な夢」=「パードリックとコルムが親友として過ごしていた日々」。そしてそれは「オリーブの枝が折れた音」によって終わりを迎えるのです。突然のコルムからパードリックへの絶縁通告。困惑と怒り。「素敵な夢」は争いへと急降下。

この「夢」が終わったきっかけ……「音」とはいったい何でしょうか。それはまた後ほど……。

2 「アイルランド内戦」

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本作で描かれた時代は1923年、冬。この時期にアイルランドでは内戦が勃発していました。
イギリスからの独立をめぐる戦争(アイルランド独立戦争)を終えたアイルランド。しかし、戦争で締結された条約に対して賛同する勢力と、不服に思う勢力の間で、続いて争いが発生したのです。結果として約4千人が犠牲となる苛烈な戦争となりました。これはアイルランド独立戦争の際の死者数よりも多いと見られており、この内戦がどれだけ激しいものだったかを思い知らされます。

イニシェリン島は架空の島ですが、内戦が勃発している内地と距離が離れた場所として語られています。島の住民たちは、本土から聞こえる戦争の音を軽く耳にしては「内戦かあ、またやってるよ。どっちが何の勢力だっけ? 良くわからねえ。イギリスが敵だったころはシンプルでよかったけどねえ」と「対岸の火事」な様子。

この内戦は同年の5月まで続き一応の終結を見ましたが、結果として今日も続く「北アイルランド問題」へと火種は継がれることになります。争いは争いを生むのです。

余談:北アイルランド問題に関しては、犯罪コメディ映画『ディボーシング・ジャック』(98)が軽妙かつ真摯に取り扱っており、こちらもまた必見です。

3 「バンシーの泣き声」

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『イニシェリン島の精霊』の原題は『The Banshees of Inisherin』、これは直訳すると「イニシェリン島のバンシーたち」となります。

バンシーとは、アイルランドに伝わる「死を呼ぶ妖精」です。老婆の姿をしており、その泣き声を聞いた人間は死ぬと言い伝えられております。

本作においてバンシーの泣き声とは一体何を表していたのでしょうか。
島の住民たちに「死神」と忌まれる死を予言する婆さま、マコーミックが登場し、まるでバンシーのように扱われていますが、こちらは単なるお遊びに近い存在です。

映画におけるバンシーの泣き声、それは海を渡って本土から島へと聞こえてくる、砲撃、銃撃、悲鳴。内地で行われている戦争の音なのです。

今まさに戦争が起こり、人が死んでいる。
その音……「バンシーの泣き声」を誰よりも耳にしていた人間、それが海辺に住む男、コルムだったのです。

パードリックと同居している妹、シボーンはコルムの家を訪ねる際に、海から聞こえてくる砲撃の音の大きさに恐怖します。パードリックとコルムの家は近いにも関わらず、聞こえる音が全く異なっていたのです。また、海辺にはコルムの家しかなく、危機感のない島民たちの中で、コルムだけがひとり「バンシーの泣き声」を聞き続け、戦争の恐怖に怯えていたことが言外に示されます。

コルムはパードリックと絶縁し、作曲に打ち込むと宣言します。命は有限だから、時間を無駄にしたくない。何かを作りたい。歴史に名を刻みたい。それは、「死」という誰もが直面しながらも、日常では意識していない……あるいは目をそらし続けているものに晒され続けたがゆえの決断だったのです。

また、自分が戦火に怯えているのに平然としている島民、誰より最も近しい距離にいたパードリックが何事もなさげに暮らしていることもコルムにとっては許しがたいことだったように思えます。それこそ、どうでもいい「ロバの糞の話」をずっとしていたように。

この「バンシーの泣き声」=「オリーブの枝の折れる音」=「戦争の音」がトリガーとなり、パードリックとコルムの人生は大きく変化してしまうことになります。

全然関係ないけど意外と悪くないバンシー映画

4 「戦争」

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コルムからパードリックへの絶縁宣言は、いつしか対立へと変化します。

コルムはパードリックを拒絶しながらも、決して彼を物理的に傷つけることはありません。
死の恐怖に怯え、親友を拒絶することを決意しながらも、彼に対する情が残っていることは「お前がこれ以上話しかけたら、俺は自分の指を切断して、お前の家に投げつけてやる」という宣言と行動からも見て取れます。

実に極端かつ過激な行為ですが、これはパードリックから歩み寄られた際に、拒絶することに対する「自罰行為」なのです。「傷つけてごめんな、俺は自分の体で償うから」そう言い換えることができるように見て取れます。

しかし、相手を傷つける行為は結果として争いを生むことになるのです。

コルムが切断した指を、パードリックが飼っていたロバが誤嚥し死亡。パードリックは激怒し、報復としてコルムの家に火を放つと言い渡します。

この個人間の争いは、まさに劇中で示されているようにアイルランド内戦とオーバーラップします。本作はアイルランド内戦の戯画化……と言うこともできるかもしれません。

しかし、それ以上にこの世界で起きている「戦争」という愚かしい行為そのもののアナロジーと解釈することが可能です。コルムが指を切断する行為は自国の人民=兵士を失うこと、ロバもまた戦争で死に至る人民であり、燃やされる家は国土である。そのように置き換えて見ることができます。この映画は、戦争の構図を我々の身近な尺度に置き換えて作られたものなのです。

5 「十字架」

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本作が戦争の映画である、という観点に立つと、冒頭から執拗に映される「十字架」の意味合いが変化してきます。

アイルランドは約8割がカトリック教徒であり、本作においていくつかのイベントは「神の日」すなわち礼拝を転機として行われます。ゆえに、島の光景を映すにあたり、作劇的に十字架が多く存在していることに違和感はありません。

ですが、あまりに多すぎる。十字架が映っていない瞬間は、十字に交錯する窓枠がその機能を果たします。この点に関しては、十字架と窓枠が同時に映されるシーンで、窓枠もまた十字架の役割を担っていることが示唆されています。この本編から溢れんばかりの十字架の量。いったいなにゆえでしょうか。

十字架=死の表象。これが多すぎる十字架の持つ意味です。

現在進行形で起きているアイルランド内戦、そして起きたパードリックとコルムの争い。戦争は死者を伴うもの。これは「史実としての戦争」と、中年男性同士の衝突に仮託された「概念としての戦争」に纏わりつく「死」をビジュアルで示したものなのです。

同様に、この描写はコルムにベッタリと取り憑いた「バンシーの泣き声」に対するアンサーでもあります。日常と死が隣り合わせであることを幾多もの十字架が「メメント・モリ」と囁いているのです。

6 「映画と演劇」

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限定空間と限られた登場人物。大きなアクションはなく、会話を中心とした作劇。この映画は極めて「演劇的」です。それもそのはず、マクドナー監督は戯曲畑の出身。実際に、この映画も本来は戯曲として構想されていたとのこと。

また、架空の土地、人間たちの対立……という点では『スリー・ビルボード』と同じ枠組み。しかし、『スリー・ビルボード』が「動」の映画であったのに対し、本作は「静」。ゆえに「映画でなくても良いのでは?」という疑問の声もあるかもしれません。

しかしながら、本作は戯曲としてこの世に放たれませんでした。それは、この作品が「映画」でなければ成立し得なかったからです。

パードリックとコルムはご近所同士。ですが、彼らの家に至るまでの道は二股に分かれています。一方を登ればパードリックの家、下れば海辺のコルムの家に。これは彼らが対立することを暗示していると共に、コルムだけに戦争の音が明瞭に聞こえていたことへの回答でもあります。

このように、空間の奥行きをもって寓意や事実へと接続することは演劇では難しいことでしょう。それゆえ、本作は映画でなければならなかったと断言できます。

7 「現実世界」

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マクドナー監督が『イニシェリン島の精霊』で語ろうとした中身の大枠は見えてきたかと思います。歴史として存在した戦争、そして登場人物により表現される戦争。さらに、この二重構造にとどまらず、映画は我々が生きる現実世界も巻き込んでいるのです。それは言い換えると「なぜ本作が2023年に作られたのか?」という問いにもなります。

こちらは皆様もお分かりの通り、「ロシアのウクライナ侵攻」(あるいは「ロシア・ウクライナ危機」)への批判が込められています。かつてはソ連の構成国だったウクライナが親欧米路線を進めNATOへの加盟を目指す。それに対して干渉し侵攻するロシア。この構図はコルムとパードリックに当てはまります。

どちらにも肩入れせずに俯瞰すると、二人の衝突に伴い、周囲に被害が及ぶ様子を『イニシェリン島の精霊』は冷静に、愚かしく描き出します。片方が悪く、もう片方が善良と「断罪」の視点ではなく、戦争行為そのものの愚かしさを包括して批判しているのです。

また、迫りくる死に危機感を覚える者とノホホンと日常を送る者の断絶は、COVID-19に対する受容の割れ方にも通底します。自分の覚えた恐怖を他人に押し付け、周囲を巻き込んでいく極端な行為は、COVID-19に付随する多くの問題においても見られたのではないでしょうか。その一方で、我々も「慣れ」て日常を送っている。対岸で戦争が起きているのを知りながらパブで飲んだくれている島民たちのように。

イニシェリン島という架空の孤島は、我々が今生きている現実世界そのものなのです。

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さてさて、『イニシェリン島の精霊』を7つのキーワードより紐解いてみました。もちろん、映画の解釈は人それぞれ。マクドナー監督は多くの意図を作品に混入するタイプの作家ですが、本作に関しては「脚本を書き始めた段階ではラストを定めていなかった」と話しています。全てが理詰めでない余白の部分にこそ、観客が登場人物に自分を委ねるなどして、より深く映画について考察する価値があるというもの。

人間同士のどうしようもない営みを温かい目線で描いていると評する声もあれば、神の視点より戦争を批判する高慢な映画だと断ずる評もあるでしょう。1度だけ観るより、何度も様々な角度より観ると姿形を変える、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが織りなす万華鏡のような映画『イニシェリン島の精霊』、是非とも劇場で上映しているうちに複数回観るべき傑作だと思う次第です。

あっ! 文章が予定した文字数を大幅に超過したからムービーナーズの編集長が困ってる。見てください! 眉がハの字に……まるで、コリン・ファレル……。

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作品情報

監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン
   ケリー・コンドン、バリー・コーガン
配給:ディズニー

現在(2023.02.07)全国公開中!

公式HP:https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin
劇場情報:https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=bansheesofinisherin

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