【フォルテヴィータに帰郷した日々】 ~9ヶ月間、私に”故郷”をくれたイマーシブ・フォート東京~

——確かに存在した、ある”街”の話をしたい。

2024年4月から2025年2月までという短い期間、東京・お台場に突如現れた街、”フォルテヴィータ”。
この街に”帰郷”する事を決めると、手紙が届く。手紙には”フォルテヴィータ出身の私”の帰郷を心から歓迎する言葉と、風貌が変わっていても故郷の住民が見分けがつくように、印を付けてきてほしいと書いてある。

フォルテヴィータの住民から届く手紙の中の1葉。宛名も内容も様々。

いつ訪れても見上げれば夜空が広がるり、色褪せたポスターからはかつての人の息吹を感じる。不可思議な焼け跡が目立つ、中世ヨーロッパ風の街並み。
足を踏み入れると、個性豊かな住民たちが気さくに「おかえり!」「ciao!」と私を迎えてくれる。離れていた故郷へ帰ってきた同郷の友人として。

夜空が印象的な”フォルテヴィータ”の街の入り口。

私はこのフォルテヴィータで、さまざまな出来事に巻き込まれた。マフィアの抗争で人質に取られたり、街を守る軍に急遽入隊したり、宿屋の夫婦喧嘩に巻き込まれたり。そして、地元で愛されるバーで一息つく。

住民達と話し込むうちに、住民や街がどんどん好きになって行く——
いや、”好きであることを思い出していく”。私はこのフォルテヴィータ出身。故郷への郷愁が元から宿っているのだ。

更に夜が深まり、狂暴なマフィア達に立ち向かい、住民と共に団結して街を守り抜く。ハッピーエンドを迎え共に喜びを分かち合った矢先、隣で笑い合っていた住民たちが、無表情に暗い墓場へと還っていく衝撃的な光景に遭遇する。

実は、このフォルテヴィータは約200年前のマフィア抗争に起因する大火災でほぼ焼失しており、住民たちはその無念を晴らすため、運命のXデイをループしながら毎日墓場から蘇り大火を未然に防ごうとする地縛霊のような存在だった。”私”もその亡霊の一人であり、街の外れの慰霊碑には私に来た手紙の宛名も書かれていた。

墓地には季節に沿って花言葉に準えた花束が飾られていた。住民の写真付きの新聞は、最期の一ヶ月間だけ見る事が出来た。

ハロウィン時期に帰郷すると、フォルテヴィータはまた違う顔を見せてくれた。

住民の墓場入りを見届けた後、突如200年後に戻される。キャラクターの服装も現代的。

時は進み、現代。沢山の死者を出した大火から復興を遂げた街として、市長が記念セレモニーで挨拶をする現場に居合わせた私。

その最中、突如としてヘリが墜落し謎の感染症が一気に拡大。ニュース映像や住民たちの話から、私はこの混沌の原因が製薬会社による人体実験によるものではないかと気付き始める。

ゾンビに襲われながら必死にワクチンを探索し陰謀の謎を解く。私たちの行動が、その日ごとの市長とその娘の命運を左右した。

没入型体験施設「イマーシブ・フォート東京」

以上、東京お台場にある「イマーシブ・フォート東京」(※以下”IFT”と略す場合がある)で9ヶ月間ほぼ毎日繰り広げられた没入型体験アトラクション「フォルテヴィータ事件簿」(※以下”事件簿”と略す場合がある)の超大筋を著者の体験による主観からまとめた。

中世ヨーロッパ風の巨大商業施設だったヴィーナスフォートを居抜きで大胆に一つの街として再構築、オープンからクローズまで大量の役者を投入し、分刻みに客を巻き込む演目を展開。2010年代にUSJの経営をV字回復させたマーケター”刀”森岡毅氏らに寄る立ち上げである。

筆者について


ここで、私自身についても最低限触れておく。テーマパーク体験の感度は、テーマパーク体験偏差値(造語)にも左右されると思われるからだ。私の個人的好みだけなく、客観的にもリニューアル前のIFTが如何に挑戦的だったか皆さんに伝えたい一心である。

私は、漫画家、シナリオライター、イラストレーターなどをしている在宅自営業者で、日々仕事に追われながら息抜きになる“推し活現場”を求め彷徨っている。幅広くエンタメをインプットすることを心掛けつつ、「世界観のあるテーマパーク」や「観劇」「旅行」といった”体験”に特に重きを置き、懐の続く範囲で自分へご褒美として与えている。

元来、スリラー、ホラー、サスペンス、ゾンビものを好むので、ハロウィーン時期に活発化する。IFTを手掛けた森岡毅氏らがUSJ再興の一助とした「ハロウィーン・ホラーナイト」は特に気に入っており、毎年遠征している仮面ライダー王蛇並みに血生臭い祭に現れがち。

そんなテーマパーク好きの私が特に感動した、2025年2月までのIFTの他のテーマパークでは代替え不可能だった魅力を以下に記す。

【テーマパークの構造を活かしたシナリオ】

フィナーレのショーではキャラクターが終結し、物語が帰結する。

多くのテーマパークでは、私達がお金を支払った対価としてキャストが笑顔で接してくれ、定時のショーや花火といったエンターテイメントを提供される。私達は多くの場合”客”であり、スタッフは”店員”である。そこに理由もなければ文脈もない。

しかし、IFTのフォルテヴィータ事件簿は異なっていた。チケット購入時に届く手紙で客には新たな名前が与えられ、スタッフ全員にも”街の住民“として個別の名前があり、故郷の一員として私に親しげに接してくれる。「おかえり」に「ただいま」とこちらが自然に返す為の物語が、チケットを購入した瞬間から用意されているのだ。

私達はお客さんでなく、住民。今から向かう場所にいる人間は同郷の、顔馴染。たとえ一人で街に向かったとしても、街にいるのは旧知の友人ばかりという設定だ。一人テーマパークもとても気軽だ。だって帰郷なわけだし。今までとは全く違う気持ちで現場に向かうことができた。

さらに、テーマパークでは当たり前である”意味はなく毎日繰り返される同じ演目”。これも住民たちがハッピーエンドを迎えるまで毎日墓から蘇り続けるループする亡霊という理屈で文脈付される。

ハロウィンのゾンビ達でさえ、ただ定時にゾンビがお出しされてこちらがキャッキャと喜ぶわけではない。私に挨拶してくれて、街を守ると言ってくれたさっきまで元気だった彼が、目の前で感染者から噛まれて一度満身創痍で捌けていき、そして虚ろな表情と痛々しいゾンビメイクで再登場する。

不穏なニュース速報、感染爆発、その原因や黒幕判明、エンディングまでわずか三時間に凝縮されたゾンビモノの肝を抑えた完璧なストーリー。エンタメと相性が悪いであろう”文脈、前振り、伏線”が常に保持されており、私の理屈っぽいオタク心を大いに満たしてくれた。

【贅沢な演者数で実現する“映画の中に入る”没入体験】

感染者とそれを駆除する人と客とまだ無事な住民とでストリートは入り乱れ、自分や隣人が無事に出られる保証がない臨場感に繋がる。

IFTがせっかく世界観を徹底して創り上げてくれた没入体験である。本来客の私達は見せられた部分だけ楽しむべきで、舞台裏を推測するのは野暮だ……とは思いつつ、少し考察してみましょう(IFTに2025年2月まであった第五人格イマーシブチェイスの導入台詞)。
まず、演者の数が凄まじく多い。2024年3月~2025年2月の間、あくまでの私の推測だが有料アトラクションを含め少なくとも数百人もの演者が毎日稼働していた。スタッフさんではなく、演者さんの数である。

空いている平日、私一人に対して数名の演者が絡んでくれるという贅沢な体験をすることも少なくなかった。開園から閉演まで物語に沿って常に事件が起こる為タイムスケジュールは厳密で、八合わせや同時出没厳禁なキャラ同士なども多くいると思われる。同キャラには2.3人ほどしか役者さんはおらず、おそらく病欠などは命取りになっただろう。

恒常期間もハロウィン期間も、一見一般客にしかみえない演者(いわゆるサクラ)の使い方も贅沢で、上手かった。

すぐ横の女の子が撃たれて血を流したり、何気ない瞬間に目の前のお兄さんがゾンビに噛まれて一瞬でゾンビへ変貌し恐怖を与えてくれた。

更に生演奏、生歌による贅沢なショーやDJダンスパーティーも毎日行われていた。沢山の演者さんの働き口になっていたと憶測される。

私達に物語を動かす重要な役割を与えつつ見渡す限り右から左から、息付く暇なく沢山の演者さんによって物語に没入させてくれたあの空間。単なる”まるで映画に入るような”体験を超え、自分の行動がエンディングまで左右するという映画とアドベンチャーゲームを合体したような至極のエンタメを楽しめた。

贅沢過ぎて「我々の入場料で果たして演者さんたちは食えているのか!? この素晴らしい演目を私だけが独占して大丈夫……!? 私がIFTを支えないと……」と余計な心配も過るほどだった。

【客の自主性を尊重したスタイル】

イマーシブ型のエンターテイメントの特徴に、役者だけでなく客自身にも一定の自主性を求められる事がある。客が何もしなくても体験は成立するが、世界観に沿って能動的に動くことも大事だ。

極端な行動を控え、役者の演技や導線を乱さないまま積極的に世界に没入するのは、それなりに高度だ。物理的に言語が通じない場合もあるだろうし、演劇に不慣れな人もいるだろう。私のような舞台演出の素人が企画人であったなら、演目が妨げられる最悪の事態ばかりを想像してしまうと思う。

素人目にも薄い氷の上で成り立っている奇跡のような現場であろうに、世界観を損なうのを防ぐためか禁止事項の注意書きは最低限しか掲げられていない。これも没入度が上がった。他のテーマパークは、行く度に注意書きが増えてしまっていっているというのに。

特に入場料のみで体験できる”事件簿”は大変だったと思う。高めの有料チケットを買って何度も足を運ぶような刺激中毒のオタク相手ならまだしも、新しいテーマパークらしいからと”ふんわり迷い込んだ家族連れ”なども満足させなければならない。ここ、設定ごとお化け屋敷なのに……?覚悟がキマりすぎている。

これらのIFTの在り方は、客が能動的に物語の一部を担う存在になってくれると信じ、迎え入れようという強い信頼の表れだと感じた。
私はせめてこの信頼のバトン(勝手に受け取っている)に応えるため25回前後? の帰郷の中で15人以上? のオタクを連れて行った。お友達が少なめなので、怪しい勧誘みたいになっていて恐れられていたかもしれない。しかし、中にはリピーターになってくれたオタクも多数いた。
少しはIFTからの信頼のバトン(勝手に受け取っている)に応えられただろうか……。

【推し活現場としての無限の可能性】

レストランで寛いでいると「この街を楽しめているか?」と声をかけてくれる街の住人。美しく誇り高く、有難い。

アニメ、漫画のキャラの事を好きになりもっと知りたいと思っても、画面に向かって尋ねても何も答えてはくれない。版元や作者に問い合わせるのも基本はNGだ。しかし”フォルテヴィータ事件簿”ではキャラクターと直接コミュニケーション出来た。

何処まで話して良いかなどのレギュレーションは敷かれず、客の自主性に任せられていた為に正確な線引きはわからないが、常識の範囲内の会話は推奨されていたように思う。

キャラクターは私達の装いを褒めてくれたり、街で楽しく過ごせているか何気なく声かけをしてくれ、寛いでいたら突然同席してくれ、話し相手になってくれたりした。

身の上話をしてくれる事も少なくない。例えば少年時代の事を教えて欲しいとか、好きな食べ物はなんですか?など、同郷の友としての質問もできた。つまりキャラの設定を深堀出来るチャンスが沢山あった。

これは”推し活現場”という観点からも凄まじいサービスだ。演者や演目の進行を妨げない気遣いは当然として、帰郷の度に人間関係の情報を直接聞き取ったり、気に入った住民にずっと着いていくことも出来る。被写体として写真を頼む事も、ツーショットを撮ってもらう事も自由。なんなら直接キャラクターに対してあなたを推してます!と告げる事もできる。

没入体験という観点からは引き続き逸れるが、演じる役者さんによって同じキャラクターでも振れ幅が出るのもまた良かった。

筆者は基本的に三次元の人間本人を”推し”とする事はないが、仮面ライダーなどの特撮、実写映画など人間が演じている物語が大好き。フォルテヴィータ事件簿は「物語の為に造られたフィクションキャラクターでありながら、目の前に居て、話せて、交流出来る」という個人的に理想のキャラとの距離感を実現させていた。

【考察し甲斐のあるオタク向きの設定】

オタクは考察し甲斐のある世界観が大好き(主語がデカい)。

上記の街の粗筋は本当に”粗”筋であり、魅力を伝えきるには文字数が足りない。事件簿では15人以上のキャラクターが毎日同時多発的に10以上のルートや物語を綿密に紡いでいた。筆者の身体は不満な事に一つしかない。広大な街で同時多発している群像劇全てを一度に目撃出来ない。なので何度も通い、その度に新しい発見をした。脚本は妥協なく練られており、キャラの生まれや兄弟設定、親子関係、ループの原因、大火の原因なども様々なヒントから探れるようになっていた。

一人では全て体験しきれないので、他のお客さんの撮った体験の動画やポストからキャラや街の別の側面を知ることもあり、それも楽しみの一つだった。そして今度は自分の目でそれを体験してみようと小目標をもって帰郷する事も出来る。「VIVA FORTEVITA!」という合言葉と共に、他のお客さんとも同郷の連帯感が強く生まれていた。

現場として完璧。ちゃんと”オタクが沼れる”リピーター要素が盛り沢山だった。帰郷、もっとしたかった……。

【“物語”への敬意】

「イマーシブストーリーズ~誰も知らなかったヘンゼルとグレーテル~」のお菓子の家のセット。魔女側と子供側両面から物語に没入できる素敵なアトラクションだった。

2月までのIFTでは「推しの子」「東京卍リベンジャーズ」「今際の国のアリス」「第五人格」といった、既に確固たる世界観を持つ人気IPとのコラボレーションも行われていた。

こうしたコラボはIPファンの為にも気を使われ、うに施設の世界観から切り取られたように独立してしまいがちだ。しかしIFTはこれらの作品に共通する「ループ」「転生」「死に戻り」といったテーマをピックし、オリジナルのフォルテヴィータ事件簿や他のアトラクションと見事に融合させ、街全体として一貫した世界観を形成していた。

どんなにバラバラに見えるIP同士であっても、「人生、全とっかえ」という謳い文句のもと、統一感と説得力を持って表現していた。最早物語への尊重と全ての筋を通そうという気持ちを感じすぎて、巨大なウロボロスの蛇に飲まれているようで畏怖すら感じた。

終わりに

”事件簿”が終わる事が告知された時、ショー内容が変更され、夜が明けなかった街に朝が訪れる。地縛霊だった住民たちは墓地に還らなくなり、それぞれ天国へと旅立つ演出がなされた。

最終日に住民に話しかけられた。私は笑顔で話して帰ろうとした気持ちに反し「この街にもう帰れなくなるのが寂しい」と訴え、異常に泣いてしまった(私の書く”泣いている”とは、オタク特有の真顔で文字を打っているのではなく、目から大量に水を出して嗚咽して膝から崩れ落ちている状態の事だ)。住民は私を慰めながら「どうして? またいつでも帰ってきて良いのに。でも、もし寂しいなら、新しい楽しみを見つけて」と言ってくれた。彼の言葉を胸に刻むしかない。


この世の終わりのような語り口になってしまったが、イマーシブ・フォート東京は営業形態を変え、2025年3月以降も営業している。

私自身も今も残っている有料アトラクションの”シャーロック”を15回ほど(推しの女性キャラがいて、気付いたら積んでいた)”江戸花魁奇譚”や”東京リベンジャーズ・イマーシブエスケープ”も5回程リニューアル前に体験している。それぞれ記事を書かせて頂きたい程素晴らしい。

しかし今回は私が一番高い価値を見出した”フォルテヴィータ事件簿”中心に筆を執らせて頂いた。今や9か月という短い間の現場体験者が街の住人の生き様や貰った感動を、口伝するしかない状態なのだ……。

第五人格やイマーシブストーリーズ、切り裂きジャックなど事件簿と共に1年足らずで消えた他のアトラクションもそれぞれ素晴らしかった。愛した街は、今は有料アトラクションへの通路になっている。あの……取り壊さないで……せめて設定資料集を出して下さい……。

テーマパークとしては一年未満という短い継続期間だったイマーシブ・フォート東京。末席の創作者という立場としても、1オタクとしても、刺激と勇気と感動を沢山頂いた。楽しいテーマパークは数あれど、”故郷”になってくれるは場所はそうそうない

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