光あるところに、漆黒の闇ありき
古の時代より、人類は闇を恐れた
しかし、暗黒を断ち切る騎士の剣によって
人類は希望の光を得たのだ
2005年の深夜に始まったハイパーミッドナイトアクションホラードラマ『牙狼〈GARO〉』は、TVドラマとしては規格外の映像美とアクションで構成された、大人のための特撮番組だ。人間の陰我に取り憑く異形の怪物を、金色の狼が切り捨てる。豪華絢爛、眩い輝きを放つ新ヒーロー、黄金騎士ガロが闇を断つその姿に魅入られ、早20年。そんなシリーズ20周年を祝う最新映画『牙狼<GARO> TAIGA』がついに公開される。
しかし、シリーズに思い入れが強いほどに「TAIGA」の名が背負うものが重たく感じられ、製作が発表された際に感じたざわめきは、映画を観るという行為にいささかの「覚悟」を生じさせるものであった。という前置きを踏まえて、牙狼ファン歴20年のライターが一足先に本編を鑑賞する機会に恵まれたので、鑑賞後の素直な想いをレビューという形でお届けする。


大人向け特撮の金字塔『牙狼<GARO>
まずは簡単に、最新作に至るまでの流れをおさらいしたい。
2005年に放送されたTVドラマ『牙狼<GARO>』は、『仮面ライダーZO』や『人造人間ハカイダー』を手掛けた雨宮慶太氏が原作・監督を務める特撮番組である。その特徴は、変身前の登場人物を演じるキャスト当人が身体を張ったアクションを実際に行い、敵役となる魔獣ホラーはスーツアクションやCGなど多彩な表現が用いられ、ややグロテスクなシーンや女性の裸体など、深夜放送ならではの刺激の強い表現でいわゆる「ニチアサ」とは一線を画した、大人層をターゲットにした作品であった。
古来より、魔界から現れては人間の陰我を喰らい憑依する魔獣ホラー。そんなホラーから人々を守るため、人知れず闇夜に闘う戦士がいた。その名は、魔戒騎士。ホラーと闘うことのできる鎧に身を包んだ魔戒騎士は、ただひたすらに人間を守ることをその使命とする。2005年のTVシリーズ『牙狼<GARO>』では、魔戒騎士の中でも最高位である「ガロ」の鎧を受け継いだ男、冴島鋼牙の激闘と成長を描いた。そのハイクオリティな映像やアクションが評判を呼びTVスペシャルや劇場版が公開され、その後パチンコの題材となったことで知名度が爆発し、以後20年に及ぶシリーズの歴史が紡がれてきた。
そんな冴島鋼牙の父であり先代の「ガロ」の鎧をまとって闘った騎士こそ、最新作『牙狼<GARO> TAIGA』の主人公である冴島大河。つまり本作は、シリーズ20年にしてついに明かされるはじまりの男の物語として、公開前から高い期待が寄せられているのだ。


突然訪れた悲しき「別れ」
冴島大河は、『牙狼<GARO>』TVシリーズ第十二話で初登場。まだ幼い鋼牙を鍛え導くその姿は厳しいものではあったが、芯には子を想う優しき心に満ちた、大きな背中が印象的だった。そんな冴島大河を演じるのは、名優・渡辺裕之氏。平成『ガメラ』三部作や『ウルトラマンガイア』など特撮作品とも縁も深く、主人公の父であり師としての存在感をわずか1エピソードで強烈に印象付けた。
その後も冴島大河は幻影や英霊の声として、鋼牙やその息子の雷牙の前に登場しファンの胸を熱くさせたが、2019年公開の劇場版『月虹ノ旅人』ではついに渡辺裕之氏が冴島大河を再演。大河、鋼牙、雷牙の三世代のガロが揃うというサプライズに、劇場が歓喜の涙に包まれたことを鮮烈に覚えている。
しかし、「その日」は唐突に、前触れもなく訪れた。2022年5月、渡辺裕之氏の訃報が公表された。あのたくましく優しい大河の姿を見ることは、二度と叶わなくなってしまったのである。


次の20年に進むための『牙狼<GARO> TAIGA』
そんな悲しい現実を踏まえ発表されたシリーズ20周年記念映画『牙狼<GARO> TAIGA』に、複雑な想いを抱くファンも多いのではないだろうか。若かりし頃とはいえ冴島大河を他の誰かが演じることを、どう受け止めたらよいのだろうか。
そうした不安を抱え『牙狼<GARO> TAIGA』本編を鑑賞するに至った。その結論として本作は、『牙狼<GARO>』シリーズを創り続けてきた人、それを愛し続けた人、双方にとって必要な儀式だったのだと、そのように感じている。
人間を守護する大いなる力を持つ「聖獣」の魂が宿る羅針盤が、闇の者によって奪われてしまった。その聖獣の奪還を託されたのは、黄金騎士ガロの称号を持つ魔戒騎士、冴島大河。大河は羅針盤を奪ったホラー・蛇道と闘い奪い返すも、聖獣の一神である「白虎」が人間に乗り移って逃げ出してしまう。人間社会に降りた白虎を追う大河だが、そこには大河の知られざる過去が隠されていた――。
若かりし頃の冴島大河を演じるのは、北田祥一郎氏。公式プロフィールでは笑顔の眩しい27歳の北田氏は、真面目さと固さの中に秘めた優しき素顔、といったテイストで新たな大河を表現。これまでの大河が常に誰かを導き鍛える側であり、自ずと厳しい態度で接しなければならなかったのだと思えば、「父」になる前の大河は新鮮であると同時に、今作の大河像はどこか納得のいくものであった。“守りし者”として人間社会の安寧を保つことに実直で、悩める仲間に優しい言葉をかける、そんな「好青年」としての大河が、スクリーンに現れる。


話は少し逸れるが、シリーズの醍醐味であるアクション面も満足のいくものであった。直近のTVシリーズ『ハガネを継ぐ者』に続いて起用されたJIRO氏による特殊メイクはホラーの異形なビジュアルをCGに頼らず表現したまま生身のアクションを可能とし、それを受けるアクション監督の鈴村正樹氏がハイスピードなソードアクションを構築していく。鈴村氏が『HiGH&LOW』シリーズで培った経験が『牙狼』シリーズにフィードバックされた、フレッシュで鮮烈なバトルシーンは瞬き厳禁の出来栄えだ。
また、雨宮慶太監督作品なら外せない「雨宮文字」や特徴的な美術は全編に散りばめられており、クライマックスの大決戦はCGと文字と絵を組み合わせた、雨宮慶太印が炸裂する大絵巻となっていて、これはやはりスクリーンで観ないと真価を発揮しないだろう。銀幕いっぱいに広がる「牙狼」「大河」の文字に、ファンなら心躍らないわけがない。
そんな若かりし大河の“守りし者”としての闘いを描く本作の物語は、己の野望のために聖獣を奪おうとするホラーとの闘いを縦軸としながら、その枝葉として添えられた白虎のエピソード、あるいは聖獣奪還のために大河の元に派遣された魔戒導師・吹奇の存在こそが、実は最も大きなテーマとして尺を割かれているのではないか、というのがレビューの本題なのである。
※以下、『牙狼<GARO> TAIGA』の物語へさらに触れる記述が含まれます。鑑賞前の方はご注意いただきますようお願い致します。
白虎と吹奇、ゲストキャラクター二人が抱える願いや悩みには、「今ここにはいない大切な人」を想う気持ちが含まれている。予期せぬ別れによって伝えられなかった想い、寂しい日々を生き抜いたからこその苦しみ、いなくなってしまった人にもう一度会いたいという偽りなき気持ち。
ここに、渡辺裕之氏のことを重ねずにはいられないのだ。起きてしまったことは覆せないし、氏がどんな想いでこの世を去ることになってしまったのかなど、永遠にわからない。ただ、どうしようもなく寂しくて、苦しいのだ。氏の訃報を初めて知った時の、あのやるせない気持ちは、一介のファンとしても重くつらいものだった。
そうした想いを受け止めるかのように、北田祥一郎氏演じる大河が、生きて喪失と闘う人に寄り添っていく。これは、つらい現実を受け止め明日を生きるための力を鼓舞する、まさにフィクションや創作の本懐であり、「祈り」のようなものではないだろうか。いなくなってしまった人がそばにいて、見守ってくれているのではないか、という我々の切なる願いを、本作は物語の中で叶えてくれる。


渡辺裕之氏が作り上げた大河を受け継ぐ北田氏も、そもそも冴島大河の映画を撮ることにした雨宮監督ら制作陣も、その重圧に悩み、葛藤した日々があったのではないだろうか。しかしそれを乗り越えて完成した『牙狼<GARO> TAIGA』は、悲劇の別れのままで思い出を閉じるのではなく、『牙狼』の世界の中で冴島大河、そして渡辺裕之氏の遺したものが生き続け、未来を形作っていくことを表現した。
それは、ラストに登場した青年が誰なのか、そしてエンドロールの最後に映される「とあるモノ」を観れば明らかで、シリーズ20周年を寿ぐ映画が全ての始まりに着地したことに、感無量という他なかった。これまでのシリーズと本作が綺麗な円を描き、旅立っていった友の想いをフィルムに焼き付ける。そうして今、『牙狼<GARO>』シリーズは次の20年に向けて、歩を進められるようになったのだろう。
ガロの称号を受け継ぎ、闘いを終えた騎士は、英霊となって祀られる。一子相伝で想いと使命を受け継ぎ、前に進んでいくのが『牙狼<GARO>』の物語だ。「振り返らず走れ」と叫ぶ声を背に受けて、風の如く駆け抜けていく。あとは、想いを受け取った者たちに託された。
映画『牙狼<GARO> TAIGA』は10月17日より全国劇場にて公開
https://garo-project.jp/TAIGA/