

うおおお見てない新作映画いっぱいあるのにガルクラ見るぞ
しばらく忙しかったけどようやく気兼ねなく映画を見られるくらいの時間が取れたぞ! 今月のムービーナーズの原稿もまったく手付かずだしな。アマプラとかのリストを見ても全然ピンと来ないし映画館に行っちゃおうかな〜というノリでお出かけしたのですが。


えっ!
『ガールズバンドクライ』見ちゃったよ。総集編だぞ総集編。
見たことあるだろ。テレビで。もっとこう……まだ見てない映画がたくさんさあ! 『国宝』とかさあ、まだ見られるし。『アイカツ!』と『プリパラ』のコラボ映画もやってるんだよ? それにアニメ見るなら『チェンソーマン レぜ編』だってやってるし話題だぞ? なぜガルクラなんだ? いやガルクラ好きだけど……でも知ってる話じゃんッ! そう自問自答しつつ席を取ってしまったんですが、見終わって、なぜ私が上述したような豊富な選択肢の中からガルクラを選んでしまったのか……。
それはこのアニメが『神々の山嶺』と隣接した作品であり、私は衛星に過ぎないからなんです。
おい待て 閉じるな 話を聞け
わかれ わかってくれ!
そういうわけで今月は劇場版総集編『ガールズバンドクライ青春狂走曲』のお話をします。
やっぱり井芹仁奈って……カッコいいぜ!
ガルクラとはどんなお話なのか? いつもはがんばって自分なりにあらすじを書いてみてるんですが今月はめんどくさいので公式Webサイトから拝借します。


こういうお話です。
そして主人公、井芹仁奈は厳格な家庭で育った、育ちのいい、桃香さんからたびたびお嬢さま育ちと揶揄されるようなとってもいい子なのですが、ときどき目を見張るようなエキセントリックな行動を0フレ発生で行います。


学校でいじめられ、家でも父から不登校の理解を得られない。だったら熊本を出て東京(川崎)に行ってしまおう。
桃香さんにどうしてももう一度会いたい。だからいるかどうかすら確証はないけど、川崎駅前でマイク使って大声で呼びかけよう。
そして自己嫌悪でムシャクシャしたら、街中だろうが叫びだし、ケチをつけてきた通行人にシーリングライトを振り回して襲いかかる。
感情が溢れてきてしまえば、観客に関係の無い思いの丈をMCで延々滔々と語り出しては止まらない。
どれも我々にはおいそれとできない所業です。
そんな仁奈を指して視聴者たちは畏敬とおもしろを入り交ぜて「狂っている」と称し、また桃香さんは「ロックンロールだ」と評価します。


確かに、井芹仁奈の行動は突飛で、すごい勢いで、恥も外聞も無くすべてを裸にして曝け出している。それを140字のなかで簡単に表現しようと思えば「狂っている」と言わざるを得ないでしょう。ですが、井芹仁奈はほんとうに狂っているのでしょうか。
彼女を常に突き動かしているのは「納得のいかなさ」です。
己が間違っていないことを証明するために戦う。そのためだったら別に通いたくもない予備校にも通ってみせる(辞めるけど)。涙が溢れても酒を浴びせられても大声を出すことを決してやめない。折れない。そういう人間が井芹仁奈なのです。
つまり仁奈はキチンと自分に重きを置いているんです。


それはともすればエゴが強いと社会では煙たがられます。ですが、自分を大事にするというのは最も人間的な行為ではないでしょうか。究極的に言ってしまえば「自分」という世界では、自分以外のものはすべて理解できない存在であるわけです。本当は他人がどう思っているかなんてわからないし、同じものを見て同じ色に見えているかもわからない。同じ歌を聴いて同じように聞こえているかもわからない。同じアニメを見てどう思っているかなんてわからないわけです。
そんな世界のなかで「自分が思ったことを大切にする」というのは本来、もっとも大事にするべきことではないでしょうか。
自分より、社会を大事にするほうがよほど狂っている。それこそが井芹仁奈の世界観であり……そして我々も心の奥底ではそう思う。思っていて、できないからこそ仁奈のことが眩しく見え、ときに狂っていると揶揄することでしか自我を守ることができないのです。


だからこそ、それができなかった桃香は、それを自然体でやってのける仁奈を「私の歌」と称し、強く惹かれ、またときに強く反発するんですね。仁奈がつきつける言葉は本当に自分がなりたい姿、求めた世界そのものだから。
うまくあるな綺麗であるな心地よくあるな


テレビアニメ版は、視聴して激しく感動はしたものの基本的に作業中にながら見だったし、1周しかしなかったので割とふんわり見てたんですが、今回総集編の形で実質的な2周目を見てほう、と感嘆したのはすばるによる桃香評ですね。
「桃香さんはふたりいる」
「音楽に打ち込んでいるときは真剣で、自分の音楽が通用するか挑戦したいと思っている」
「音楽から離れると我に帰り、本気でやる意味があるのかと自問自答する」


これは非常に的を得ている。
そして私たち視聴者に対しても問い詰めてきているのです。
「お前もそうじゃないのか」と。


本当は、自分の好きなことを突き詰めたいはずだ。それだけで食いたいはずだ。
だがお前は現実を見つめて社会を見つめて我に返って、家賃とか税金とかのことを考えている。ティッシュ配りとかウーバーとかそういうことで金を得ようとしている。
あるいは「うまくやる」ことこそ偉くて立派だと思っている。


出会う人みんなにいい顔をしてうまく人脈を繋げ、SNSで荒れるような話題を避け、インプレッションを稼ぎやすい投稿をしたり、バズる内容をマーケティングして作品づくりをして人と金を稼ぐことこそ現代社会では絶対に必要なことであり、それをサボることこそが本当の悪だと、創作から離れたときのお前はそう思っている。


だが本当はそうじゃない。そうじゃないことを知っているから井芹仁奈の言動が心に突き刺さるんだろう。なあ桃香……いや……もしくは……このアニメを見てるお前!!!!
そう!!! 河原木桃香は私だったんです!!!!!!!!
えっ!?!?!!?!?!?!?!?!?!??!
いやでも私は歌も歌えないしギターも弾けないし曲も作れないけど、ようするにアレです。「ナランチャ的な意味で」ってことです。そういう意味でガルクラに惹かれてる人間はきっとどこかで桃香さんなんです。
俺だ 俺がここにいるからだ
井芹仁奈は例えるならばきっと太陽なんです。
自らを灼熱の太陽で燃やし尽くし、周囲にエネルギーを振り撒く……そのエネルギーに照らされて、限られたあいだだけ輝くことができる桃香、あるいは私たちはそのまわりを飛び交う惑星……あるいはその反射で生きる衛星……そういう宇宙なんですねこのアニメは。
そしてこの構造にひとたび気づくと、同じような作品があったことに気づく……そう、『神々の山嶺』です。


羽生丈二もそう。彼は周囲から見て完全に狂っている。狂っているが故に孤立している。だがそれは羽生が、自分の感情をとても大事に思っているからで、自分のように生きないほかの人間のことが理解できない。そのことに怒り、怒っているがそいつらを殴っても仕方がない。だから、その怒りを山にぶつけているんです。それが羽生丈二なんです。




「仁奈の生き方は、羽生とまったく同じだ!」
と思ってしまうことは、発想の飛躍でしょうか? 私が『神々の山嶺』を好きすぎるからすぐに結びつけてしまうだけなのでしょうか?




羽生が居酒屋で思いの丈を叫ぶシーンが、仁奈と重なって見えてしょうがないのは私だけなんでしょうか。
そして羽生という太陽に照らされる惑星のような男がやはりいます。


深町です。
深町は羽生丈二という男に当てられて、行動を供にし、エベレストを共に征くのです。


「俺を撮れ」と羽生から言われた深町。


「いっしょに中指立てていきましょう」と仁奈から言われた桃香。


マロリーとアーヴィンの姿を見守るしかなかったオデル……。
そして私たちはそうした太陽の光を浴びることでかろうじて生きながらえることができる惑星でしか無いのです。
この星は、太陽の光が無ければ生きていくことができない。
だから、いまの私には『ガールズバンドクライ』が必要だったのです。きっと。


あとガルクラでいちばん好きなカップリングはルパ桃です


さようなら。
あ
あと
先日『アークナイツ』という私がハマってるゲーム絡みで公開されたイメージソングがあるんですが
これのクリエイター陣が


は?


ガルクラやんけ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
あとまだ大陸先行で日本では配信されてないコンテンツなんですが
https://x.com/_17meisai23/status/1955255757240406199


は?


ガルクラやんけ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!
ちょっとあからさま過ぎて笑ってしまいました


でも『BanG Dream! Ave Mujica』コラボやってる!!! なんだこのゲーム。
オススメです。
さようなら







