【男の証明を手に入れたかった】ガンダムシリーズの中で飛びぬけて好きな1話ってあるよね【あの親子はセントアンジュに着けたんだろうか】

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス) が放送前に劇場で大ヒット。その影響で過去のガンダムシリーズを見ている人もチラホラ出てきました。3年前にあれだけ話題になった水星の魔女とも違う盛り上がり方をしていて、ガンダムという作品の横への広がりが持つパワーを強く感じる流れですね。

そして、所謂ファーストガンダムを見た人から『半世紀近く前の作品とは思えないぐらい面白い』という嬉しい声が上がっている。
似たような体験を30年近く前の子供の頃にしたので非常に嬉しい。というのも、ファーストガンダム(TV)は長らくレンタルVHSが無く視聴するのが非常に困難だった。
地方局などで再放送等はちょくちょくやっていたらしいが、少なくとも自分の地域では無かったと思う。エルガイムとダンバインはしてた。

そんな中1999年に突如としてガンダムがレンタル解禁された。というが、当時はまだ小学生だったのもあって「これ、スパロボに出てくるガンダムの最初のやつだなぁ」ぐらいの熱だったと思う。同時期にターンエーガンダムが放送されていたのでそちらは見てたし、V以降の所謂アナザーガンダムも見ていたが、ファーストガンダムから続く宇宙世紀系は触れる機会がゲームぐらいしか無いのもあって興奮はそこまででも無かった。
だが、実際レンタルして観てみると「こんなに古臭いのになんか面白いぞ!」と驚嘆した。

あそこから30年近く経とうとしているのに同じような反応が出てくるのは素直に凄い事だ。これが出来てしまう特殊な魅力を持つガンダムだけど、長いシリーズだからこそ強烈に思い出に残る1話というのが出てくる。
今回はそれをいくつか抜粋していこうと思う。

【機動戦士ガンダム】第8話「戦場は荒野」

(C) 創通・サンライズ

ガンダムには結構話の本線とは別の独立した話が多く、劇場版も作られた『ククルスドアンの島』もそうなんですが案外観なくてもなんとなく先に進められる話が多い。
だけど、実はその単体の話や後に大きく繋がらない話こそ面白い話が多く、劇場版ではこれが大部分オミットされている。ガンダム好きが「なるべくテレビシリーズを観て欲しい」となっているのはこういうわけなんです。

その中でもこの「戦場は荒野」は名エピソードとして挙げる人が特に多く、実際にお話としての完成度は随一だと思っている。

難民となった民間人を乗せたホワイトベースが、民間人を下船させるために一時休戦をジオン側に申し出る。しかし、その実は輸送機の中にガンダムを隠していてジオンが攻撃しようとしてくるならこちらも挟み撃ちのように攻撃して裏をかこうとする。その為に輸送機を故障に見せかけたり、不時着したりする。更にはカイがガンキャノンで初出撃する回でもあって、戦闘的な見どころが多い回ではあるんです。
ただ、メインはその裏をかくような戦闘ではなく、一時休戦になったことによりモブ含めキャラクターの人間ドラマが展開されていることなんです。

(C) 創通・サンライズ

前述した通り、ホワイトベース側がガンダムを隠してやり過ごし、裏をかくはずなのに何故か一度やり過ごしたはずの偵察機が輸送機の方へと戻ってきてしまう。
それは何故か?作品的には敵であるはずのジオン兵が、何もないはずの荒野に歩き出していった親子へ支援物資を投下する為に戻っていたのだ。

この偵察機が親子のところへ向かう様子を見て無断行動するアムロに対して困惑するリュウ。それはそうだ。これから挟み撃ちをするぞってなってるのに明後日の方向へ走り出してしまうのだから。そんなリュウを尻目にアムロは「あの親子が気にならないのか!?」と民間人を気遣い偵察機を追いかけていく。
連邦とジオンの垣根こそあれど、民間人を気遣う様子を入れることにより隠れているアムロが偵察機に対して「こちらに気づくなよ」という言葉をつぶやく意味合いも少し変わって聞こえてくる。アムロはそういう人間が見えた瞬間に戦いたくない(偵察機なのでガンダムが撃墜できるのは必然であり、見つかったら即交戦=殺さなくてはいけない)そういう思いもあったのではないだろうか。

そして、荒野の中にある湖だと思っていたところは親子の目指していたセントアンジュであったという事を知り泣き崩れる。親子の帰る場所はもう既に無かったのだ。そこへアムロがホワイトベースから大地を見つめながら親子を思い「あの親子はセントアンジュに着けたんだろうか」と呟く残酷な一言で話は終わる。

間違いなく人間的な善意に溢れた話なのに、最後は故郷が戦争で焼かれるどころか跡形もない湖になるというビターな終わりに対してアムロの善意からくる言葉が残酷に突き刺すようになっている。

この話を最初観た時本当に衝撃的かつ、何回も見直すようになり一時期友達と駅でホーム別れた時に『〇〇はセントアンジュへ着けただろうか』と別の友達に言うのにハマった時期があるぐらいでした。

人間ドラマが兎に角素晴らしいのだけど、最初に言った通り見どころも沢山あって、ジオン兵のおじさんからもシャアからも無能の若い奴みたいな扱いを延々されるガルマなんかも良い味出してます。
シャアに関しては「それが出来なければ本当に無能だよ」なんて言いきるの、本当に友達だったのかすら怪しくなるぐらい酷いこと言ってる。いくら何でも可哀そうが過ぎる。ジオン兵の親子に対する優しさの半分でも分けてあげればいいのに。

余談だが、漫画の『ORIGIN』では最後カメラが上空へ引いて行って巨大な湖が爆心地と分かるような形で終わっていて、こちらの画的なドラマチックさの演出もとても良いので読んで欲しい。

【機動戦士Zガンダム】第20話「灼熱の脱出」

(C)創通・サンライズ

Zガンダムはファーストガンダムよりエンタメ要素が少ない。なんなら組織図の複雑さ等も含めファーストよりもかなり難解な作品へと変貌している。
エンタメ要素が少ないはまだ良い言い方だ。正直序盤~中盤はつまらないと言ってもいい。物語後半戦のアクシズが勢力として動き出してからようやく輝くキャラが多すぎる。真面目な話過ぎるがゆえにファーストでごまかせていた急に差し込まれるトンチキな話に白けることも多い。

それでも昨今までZガンダムが語り継がれてるのはその可変MSを含むデザインの良さが第一だろう。また、女性キャラクターが「ギャルゲーか?」ってぐらいカミーユへ矢印を向いている為人物関係は分かりやすく、メインキャラほぼ全員が感情で動いている。Zガンダムはそれぐらい物語のぼんやりした世界背景とキャラクターの感情が強く出ている作品だ。
説明を排除したせいで感情を視聴者側が読みとらないとキャラの行動原理が分かりにくかったり、そもそも政治的な背景は説明なしでは分かる術なんて無いし…。感情で動かすから話の筋がちゃんとしてないけど、政治的な(理性のある)話をするから話の粗が目立つ。この構造は失敗だったのでは?と正直思ってしまう。

だが、この灼熱の脱出は別だ。主人公であるカミーユが敵のフォウに対して自身の感情を全て吐露する、分かりやすく感情に振り切った超エンタメ回で最高だ。

1話の「なんだ男か」でブチ切れたカミーユですが、実は小さいころからずっとコンプレックスに悩まされていたのがここで分かる。そのコンプレックスを必死でなんとかしようと足掻いた結果が空手やホモアビス(グライダーのような小型飛行機)、ジュニアモビルスーツの大会なのだ。

「男の証明を手に入れたかったんだ…」ここにきて1話で出たサボってる空手部や、事情聴取で出た情報がカミーユというキャラの血肉に代わった瞬間だった。(空手部サボってるのは真剣じゃない=男の証明の為にやっていたというのも読み取れる)

恐らく幼馴染のファにすら打ち明けたこと無いだろう悩みを優しく聞いてくれるフォウであったが、そこはやはり敵同士。銃を突きつけお互いの場所に変えるべきと別れてしまう。
この別れる少し前にフォウから「今でもカミーユって名前、嫌い?」という問いに対して「好きさ、自分の名前だもの」と返しコンプレックスを消すための男の証明ではなく、物語を通してカミーユが自己を手に入れたのがよく分かる。

だけど、この話の良い所はこの感情の吐露以外にもフォウがカミーユを宇宙に上げるために裏切ったり、フォウを助けるべきと銃を向けてまでカミーユを叱咤激励するアムロや、アウドムラへ特攻を仕掛けながら失敗しても機銃で応戦するティターンズとは思えないぐらい軍人として立派なベン・ウッダー。
スパロボの名前入りのモブぐらいのイメージだったので、この話を見ると全然印象違うね。

更にスゴイ良いタイミングでオープニングのB面曲である「銀色ドレス」がかかるんです。この楽曲がまた挿入歌として完璧なぐらい歌詞がフォウに合うんですよ…。作詞は勿論富野監督(の変名)

この30分にZガンダムの持つエンタメ性の10%分詰め込まれてると言っても過言じゃないです。

【機動戦士ガンダムSEED DESTINY】PHASE-18「ローエングリンを討て!」

(C)創通・サンライズ

ご存じ、地元の人間も知らない坑道を地元の人間が教えてくれる回です。SEED DESTINYはあんまり単発で好きな回は無いのですが、この回は一番好きです。

元々前作のストライクに比べてより玩具っぽい配色やデザイン、更には合体ギミックを持ったりするインパルスやデスティニーはかなり好きだったのですが、ストーリーは前作キャラがちょくちょく出張ってくるのもありそこまで…というのが自分の印象でした。
ただ、この回はインパルスの合体ギミックを使った作戦が良いんです。

タイトルにもあるローエングリンの砲台を要する敵軍要塞を攻略する為、地元の人間も知らない狭い坑道を分離形態であるコアスプレンダーで突き進まないといけない。
この玩具的なギミックに意味を大きくつけた回でもあって、はっきり言ってしまえばご都合の塊でファーストで言うGファイター関連のような立ち位置なんだけど(意味は無いけどGブルになったりする)これはMSでは進めない坑道を分離形態で進みローエングリン砲を破壊する為の位置取りで優位を取る。

勿論それだけでもなく、先の劇場版でもシンはアスランに悪態をついていますが、この回の作戦立案に対しても悪態をつくシンに対して「じゃあやってもらおうか」とおだててうまくコントロールしている場面が観れる。なんだかこのやり取りというか、前作から見ているとアスランは周りとうまくコミュニケーションが取れないし、キラの事を考えてるせいもあってクルーゼが気遣うぐらいにはずっと辛気臭い印象だった。
それが、今や年下の部下相手にコミュニケーション(?)が取れている。

(C)創通・サンライズ

シンはまんまと乗せられ、危険な坑道をコアスプレンダーで進みアスランに対して恨み言を叫んでいる姿は最高だ。

絵的にも面白いのは下半身が蜘蛛の怪物アラクネのようなMAのゲルズゲー…ザムザザー…どっちだったか毎回わからなくなるコイツも出てくる。
戦闘自体はなんだかんだアスランがMAを倒してしまったり、シンが無茶苦茶な大暴れをして終わるのだがここまでくるともう気持ちよさすらある。

更に最後に連合兵を皆殺しにし始める弾圧されてきた街の人たちを見て複雑な感情を抱くアスランと、逆に街の人たちから英雄扱いされ喜んでいるシン。弾圧から解放され喜んでいる街の人を見て表面上は笑顔を見せるのだが、コックピットで一人になった途端にまた表情を曇らせるアスランに迷いが生まれていくのがよく分かる。
また対比としてエンディングまでシンがずっと笑顔なのが対比になっていて良いんですよね。そら劇場版で黒柴とか言われるだけあって、他の回にはない無邪気ささえ感じられるんですよこの回。見えてる視点の違いが分かりやすく描写されている。そらこの二人仲悪くもなるわ。

単体でもある程度成立しているので結構見返したくなります。

※番外編【機動戦士ガンダムF91】全部

(C)創通・サンライズ

最後は番外編としてガンダムF91を語らせてほしい。
筆者はガンダムF91が好きすぎて、誇張表現ではなく100回以上は視聴しており、一時期は映画を全てmp3化して大学の登下校はそれを聞いていた。フィルムコミックを買って1コマずつ模写をして写経じみたこともした(こちらは流石に果てしなさ過ぎて途中でやめてしまった)

何故そんなことをしていたか?それはこの作品が理解しづらいのにやたら魅力的なシーンが多いからだ!
理解しづらいというか、作りがとてつもなくヘンテコだ。見れば何故興行的に失敗したのか何となくわかるだろう。
2時間に無理やり収めた総集編のような、いや正確には話の筋が全く見えてこないので総集編にすらなっていない。良い所ニコニコとかに上げられている名場面集ぐらいのちぐはぐさだ。
しかもこれは中盤から加速度的にちぐはぐになっていくのだが、そもそもF91が50分過ぎるあたりまで起動すらしない。2時間の映画でだ。

このF91のヘンテコさを特に感じたのは、単身で潜入したシーブックが父親に車で助けられるシーンだろう。
車がビームライフルに狙撃され後方部が爆発して停車する。その後にジレがアンナマリーに指令を出すシーンを挟むと既にシーブックはF91でコロニーの外へと出てコックピットの中には包帯を巻いた父親が横たわっている。

包帯を巻いた描写も無ければ、それ以前のけがをした描写も無い。爆発して停車して、MSが壊れた車に近づくかどうか…の所までしか描いていないせいで急に怪我をして死にかけている父親が沸いて出てくる。

当然理解しようとすれば何となくは分かるのだが、間のシーンが歯抜けになり過ぎて意味が通らなくなってしまっているのだ。理解はするけど画と時間が時間経過の描写無しに一気に進むせいで理解が追いついていかない。F91の中盤からはこういう展開と描写が延々と続く。
悪態をついていたはずの母親に対して理解を示しているシーブックや、初出撃時にあったはずの機体の肩から消えた「F91」の文字、いつの間にかいるアンナマリー。

見返すほどにこれは一体なんなんだろう…。非常に楽しみがいのあるパズルのような作品なのだが、当然ただのパズルならこんなに熱中しない。ようやく本題に入るがとてつもなく好きなシーンがあるのだ。

それはやはりF91の初出撃シーン。

(C)創通・サンライズ

スペースアークのピンチに出撃することになったシーブックは、ガンタンクR44を動かした経験こそあれどカミーユのようにジュニアモビルスーツの操縦もしていない単なる工学科の生徒に過ぎない。
そんな青年に「ガンダムを立たせられるな?」に対して「そのつもりです」と、何とも自信なさげな返答。壁面にマウントしてあるビームライフルを取ろうとするもうまく取れずにいると「直前になったらオートでやるんだよ!」とどやされる。
そうか、本当に何もわからないとそもそもモノを持つことも難しいよな…。ていうかマニュアルとオートの切り替えとかそういう部分でやるんだ…とここまで30秒ぐらいなんですけど、今までガンダムで表現されていなかった数々の描写に胸のときめくんですよ。

そしてようやく出撃という所で妹のリィズが見上げて「わぁ…お母ちゃんがこんなものを作ってたなんて」と感心ともとれる反応を見せるのだが、シーブックが乗っていると直後に分かると怪訝な表情を一瞬だけ見せるのだ。母親がこんなものを作ったなんてすごいなーからの兄が乗っていて不安と心配が入る細かさ。

このシーブックを利用しているクルーもこの付近で良いシーンがある。
大人の都合で子供を動かすというのはずっとガンダムの根底にあるのだが、ZガンダムやガンダムZZではそれに悪びれる大人が出てくる。しかし、F91では悪びれる大人が全く出てこない。それどころかメカニックのナントは母親に向かって「戦果をあげてる」「良い感度をお持ちです」と言う始末。
それに対して自分の子供が自分の関わった兵器に乗る事への拒否感を見せると「じゃあなんですか、お子さん以外の者が戦って死ぬのは構わないって言うんですか!?」という、こいつら人の心というか…母親なんだぞ!少しは悪びれてくれ~~~!

この記事の冒頭で触れた「戦場は荒野」のジオン兵がいかに人間としてよく出来ていたのかがよくわかる。
でも、そういうのも含めて「戦争を経験していない人たちが戦争をやっていく歪みや認識のずれ」というのを感じられるので嫌いじゃないんですよね。スペースアークのクルーは基本的にキャラとしては嫌いですけど。

少し長くなってしまうので、初出撃の細かい描写は省くが、F91に次々と撃墜されるドレル隊に「傲慢が綻びを生むのか」というセリフを傲慢しきっていたドレル自身が言っていたり面白いシーンが詰まっている。

作品としてはそのちぐはぐさ故に勧めにくいが、このようにトロだけで構成された寿司桶のような作品なので個人的には全部のシーンを推したい。

まだまだあるぞこの1話

Xもいつか話したい
(C)創通・サンライズ

今回はこれで終わりにするが、まだまだ忘れられない1話は多い。宇宙世紀ならガンダムZZの地球降下後の砂漠のあたりなんかは好きな話が多いし、Vガンダムも変な部分はあるけど好きな話は結構ある。
OVAシリーズやアナザーなんかも取り上げたいが、本当にキリがない。それぐらい45年以上休眠期間があまりない状態で走り続けているということだ。

勿論全部を今回の熱量で語れるわけではないのだが、ジークアクスには久々にその熱量を向けられそうだ。今回取り上げた1話以上の1話がジークアクスにもあることを願う。

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