TVアニメ『うたごえはミルフィーユ』が絶賛放送中である。と、お決まりの文言を使ってはみたものの、果たして本作が「絶賛」を受けているのか自信はないし、そもそも現行アニメを詳しく追っている人でないと「知らない」と返される可能性すらある。
というわけで、知名度の面では他の作品に及ばないかもしれないが、かといって本作をスルーしてよいものかと言われると、私は断固NO!を突き付けたい。「高校生」「部活」「青春」のキーワードから連想される瑞々しくてキラキラした群像劇の影を捉え、ハーモニーを求め悩み傷つき、それでも歌うことを諦めない少女たちの物語は、従来の作品が取りこぼしてしまった誰かの心を救ってくれるのではないかと、そう信じているからだ。


そもそも『うたごえはミルフィーユ(以下、『うたミル』)』とは何ぞやというと、6人の若手女性声優が未経験の状態から「アカペラ」に取り組み、オリジナル楽曲から往年の名曲のカバーまで、様々な楽曲を実際にアカペラで歌唱するプロジェクトで、そのパフォーマンスは『ハモネプ』の全国大会に進出するほどに高い評価を獲得している。それと並行して、メンバーそれぞれが演じるキャラクターの物語がオーディオドラマ(立ち絵とテキストボックスのあるドラマCDのようなもの。公式Youtubeチャンネルで配信中)で展開され、2022年のプロジェクト立ち上げ以降、ファンは歌唱と物語の両方から彼女たちの成長を追いかけ、初のTVアニメーションが2025年7月より放送/配信されている。
とはいえ、『うたミル』は決して高い知名度と人気を誇るコンテンツとは言い難い。公式Youtubeチャンネルの動画再生数を確認すると、歌唱パフォーマンスのPVなどは安定して10万回再生を超えているのに、オーディオドラマやその他動画となると、0が一つ二つほど抜け落ちた数字になってしまう。今回のTVアニメ化も人気が爆発して満を持して決定!というよりは、元から決まっていた企画がようやく放送スタートといったもので、ファン界隈を一歩抜ければ本作が話題に上がる機会は、お世辞にも多いとは言えなかった。同じクールの作品より一歩遅れての放送スタート、全10話という短さからも、本作が見落とされやすい環境を生み出していたのかもしれない。
そうした不安な出だしから始まった第1話だったが、本作はオーディオドラマですでに描かれていたアカペラとの「出会い」の物語を、とても丁寧に、そして映像化によって得られたインパクトをおまけに、優しく語ってくれた。ここでようやく、『うたミル』の物語をご紹介したい。高校1年生の小牧嬉歌(ウタ)は歌うことが大好きな女の子なのだが、極度の人見知りゆえに軽音部への入部を言い出すことが出来ず、悶々とした日々を送っていた。そんなある日、先輩である古城愛莉(アイリ)が、自分は「歌える部活」の部長だと言い、ウタを「アカペラ部」へスカウトする。初めて触れたアカペラを声と声が重なる「ミルフィーユ」のようだと表現したウタは入部を決意し、アカペラへの道を歩みだすのだった。
そんな輝かしい青春の始まりを予感させるあらすじだが、本作の凄まじさはキャラクター描写に宿る。主人公のウタは前述の通り極度の人見知りなのだが、「極度」の度合いがとんでもないのだ。軽音部やアイリなどのキラキラした人たちを見るだけで吐き気を催し、入部届けをビリビリに破いて立ち去ることから怪異や殺し屋の類として周囲から噂され、その自尊心の低さから生じる言動は過度に相手を心配させるか怒らせるかの二択。公式プロフィールにて「極度の人見知りの内弁慶でヘタレでチキン」とほぼほぼ悪口を書かれたことのある彼女の生き辛さの描写が、どこか哀愁を誘う。
そんなウタの大好きで譲れないものが、歌うこと。決して「得意」だと自認していないところがウタのウタたる所以なのだが、その歌声はアカペラの調和の中で広がりを見せ、その魅力を何倍にも膨らませてゆく。かくしてアカペラの門を叩いたウタは、確かな実力とストイックな性格で他者を寄せ付けない繭森結(ムスブ)、女子高の王子様的人気を博しながらもアイリ信者であることを公言する近衛玲音(レイレイ)、チャンネル登録者数二桁の動画配信者である宮崎閏(ウルル)と一緒に、ハーモニーを形作っていく。


そんな『うたミル』は、プロジェクト開始当初より「アカペラ×女子高生×コンプレックス」がコンセプトとして語られ、前述したウタの人見知りに始まり、全員が何かしらの生き辛さや他者との関わりの中で悩みを抱えていることが示唆されている。その中でも大きく取り上げられたのは、最後に入部した熊井弥子(クマ)のメンバー入りに至るまでの物語だ。
女性でありながら低い地声の持ち主であるクマは、それを揶揄された過去がトラウマで、なるべく学校でも声を発さないように過ごし、他者と関わることを避けてきた。そんな中、クマは隠れて母親に電話している声をウタに聞かれ、ひどく焦ってしまう。無理して裏声の高い声色で話すクマに、どうしてそんなことを?と言ってしまうウタの無邪気な言葉は、悪気なくとも他者を傷つけてしまう、コミュニケーションの難しさを想起させる。


「声」という生まれつきの、そして入れ替えることの出来ない個性によって、好きな歌を歌うことも許されず、自分を嫌う毎日を過ごしてきたクマ。そんな彼女の声を「かっこいい」と言うウタは、クマに「じゃあ(声を)交換する?」と返され、黙ってしまう。コンプレックスは人の数だけあり、当人にとっては抗いようのない地獄として、身体と心に紐づいている。他者と上手く付き合えないという共通点があっても、ウタとクマのそれは全く別の要因であって、わかった気になってその心に触れると、思いがけず傷をつけてしまうものだ。
謝りたいウタと、あえて彼女を突き放したクマ。肝心なのはこの「謝りたい」の部分で、ウタは先輩たちとのやり取りの中で、クマを傷つけたことは謝りたいけれど、彼女の声に魅力を感じたことは撤回したくないという。そしてそのクマの声は、アカペラにおいては「武器」になる、とも。この時、「アカペラ」は声と声で人を結び付け、思いもよらぬ自分の一面と出会うきっかけとして用いられ、クマにとってそれは嫌っていた自分を少しだけ好きになる入口として描かれている。欠けては崩れるミルフィーユの層の一つに自分が数えられることで、クマはようやく自分を肯定するに至るのであった。


そうしたクマの物語は、「青春」の出発点である「部活」の、光の側面を描いたものである。とするのなら、その影の要素が表になるのは、第6話のクライマックスになってからだ。
この展開について、詳しい言及は避けるものの、あえて触れるとするのなら画面から伝わる緊張感についてである。『うたミル』のアニメは劇伴により視聴者の感情を誘導することを極力避け、映像による演出とキャストによる芝居での話運びを重視している。当たり前のことだと思うかもしれないが(他のアニメがこれを軽視している、ということもないが)、こと『うたミル』制作陣から「芝居」の力に対する信頼を感じたのが、第6話の終盤においてなのだ。
パフォーマンスを終え、緊張が弛緩しお互いを労う空気が漂ったところで、それを裂くようにとある人物のフラストレーションが爆発する。言い合いになる二人と、それをなだめようとする二人に、どうしていいかわからない二人。調和(ハーモニー)の形成を積み上げてきたこれまでの道のりの齟齬に、ついに亀裂が走る。部活の目的とは何か。集まった6人で何を表現するべきだったのか。バラバラの個性とコンプレックスを持つ6人の少女の揃わない足並みが、同じゴールを持たないが故の危うさを浮かび上がらせるのだ。
そんな緊迫の一時を、本作はいがみ合う二人のキャラクターを演じる声優の芝居に託し、劇伴は最小限に、かつ口論が最高潮になった瞬間にそれすら無くなり、シーンの切れ目を予想させない緊張感によって、あたかも視聴者もその場に居合わせたような気まずさを与えてくる。激しい剣幕で持論をぶつけ合う二人の問答は、各々が真剣にアカペラに向き合ったことが前提で、その上でお互いの認識の齟齬が招いたものであるからこそ、成否を外から判断できない。そこにあるのは人間の一対一の感情のぶつけ合いと、ハーモニーの崩壊だけ。飛び出していった楽屋の外は、光の当たらない影で塗りつぶされている。


以上が、本稿執筆時点での最新6話で起こった激震である。アニメの展開がオーディオドラマに追い付いてしまった今、ここからの展開はミルふぁむ(本作のファンネーム)にも未知のものとなり、先が読めないからこその緊張感が界隈でも動揺を呼んでいる。成功かに思えたパフォーマンスの後に待っていた集団の崩壊という点で『BanG Dream! It’s MyGO!!!!!』を想起させる、驚愕のクライマックスであった。
崩壊の火種としては、実力・人気ともに彼女たちを凌駕する大学生アカペラバンド「Parabola」の介入が予想され、展開の読めなさはますます加速するだろう。6人の悩める少女たちは、再び手を取り合い“ミルフィーユ”になれるのか。今言えるのは、どうか私と一緒に、その先の『うたミル』の未来を見届けてほしい、というお願いだけだ。
『うたミル』に登場する6人の女子高生は、確かにそれぞれが強烈な(そしてネガティブな)個性を持つキャラクターだ。しかし、ウタの自尊心の低さが取らせる卑屈な言動も、ムスブの他人と歩幅を合わせられない生き辛さも、クマの自分が嫌いだという気持ちも、そのどれもが経験したことのあるような痛みに感じられるだけの普遍性を、本作は有している。他の三人も、同じように悩みを抱えながら、それでも同じ部室に集う。彼女たちを時に愛おしく、ただ隣に座って相談事を聞いてあげたくなるような気持ちに至るのは、彼女たちの中にある自分の弱さや欠点、過去の失敗やトラウマなどを肯定してあげたくなるからではないか、と常々思っている。
本作のキャッチコピー「――輝かなくても、青春だ。」とは、必ずしもアカペラ部の存在が、良い側面だけを残して終わるわけではないという余白を残している。公式HPのイントロダクションには「ちょっと地味でも、マイナーでも、キラキラしていなくても」という一文もあり、彼女たちアカペラ部はずっと日陰者で、クラスの一軍には駆け上がれないことも容易に想像できる。それでも、歌声を重ねることで自分と他者を知り、ほんの少しだけ息がしやすくなったように感じる。そんな青春のキラキラとネガティブとの間で交互に揺れ動く少女たちの一度しかない高校生活の煌めきを、ぜひとも皆様のウォッチリストに入れていただきたい。
TVアニメ『うたごえはミルフィーユ』はTOKYO MX/BSフジにて放送の他、
各種配信サービスにて配信中。
https://utamille.com/anime/