尺切り詰める。雪山だけはたっぷりと描く『神々の山嶺』

『神々の山嶺』 井上 俺とアニメ化をやらないか

神々の山嶺がアニメ映画になったぞ〜! クソ大好きな作品なので当然初日に見てきました。意味があるのは初登攀だけだからね。

『神々の山嶺』は夢枕獏による1994年から1997年にかけて連載された登山小説。2000年より谷口ジローによってコミカライズされ、その漫画版がフランスでアニメ化されたものが今回の映画だ。

フランスでは谷口ジローの評価が大変高く、2011年にはフランス政府芸術文化勲章シュバリエ章を受賞。ルイ・ヴィトンの仕事をしていたり、『遥かな街へ』は映画化、舞台化もされている。そもそも谷口氏自身、フランスのバンデシネに多大な影響を受けていると発言しており、フランスと谷口ジローは深い関係性があるんだね。

雪山怖すぎワロタ

この映画は間違いなく良作……いや、もしかしたら傑作かもしれない。谷口ジローの圧倒的画力を、アニメーションとして軽快に動かすためのキャラデザには「その手があったか」と感心させられたし、美術的にもかなり見るところがある。印刷物でなく映像だからこそ得られる「雪山の雪が眩しい!」という体験は心にくるものがあった。眩いばかりの白の中、ポツンと鮮やかなスノーウェアが蠢く様子は美しくも儚く、これは一色刷りの漫画版ではいかに谷口ジローの絵がうますぎると言っても想像で補うことしかできない領域であり、この体験だけでも相当な価値がある。

このキャラデザの方向、マジでうまくやったな、そっちがあったかと初見で思いました(『神々の山嶺』本予告より)

また、雪山の恐ろしさもやはり映像だからこそのスピーディーなアニメーション、カメラワーク、そして脚色の力で鬼気迫るものがあり、後半のエベレスト登攀パートは映像の寒そうさもあって震えが出てくるほど。深町の高山病演出も恐ろしく、「こりゃダメだ」感が増幅されてすごくよかった。映画館で見ることに意味がある映像体験にもなっており、本当にいい映像化だと思ったよ。

考えてみればこれ(ネパール要素)も余計な重さだ

というわけで1本のアニメーション作品としては間違いなくおもしろい。名作だ。
一方原作マンガの大ファンとしては……めちゃめちゃ複雑な気持ちになるアニメでもある! この映画割り切り方がすごいんだよな。

何せ上映時間は90分しかないので全部やってたらとてもじゃないが尺が足りない。なのでこの映画は「雪山の怖さを本気でやるぞ」ということに注力し、他の描写はバッサリ切り落とし、まるでRTAのごとくチャートを最適化させている。

『神々の山嶺』④(集英社)より

マロリーのカメラは開始3分ほどで現れ速攻で羽生が回収、鬼スラは20分ほどで攻略され、居酒屋では本来違う日違う年に起きるはずのイベントが4つくらい一度に消化され、羽生は人当たりがよく社会性がある人物なのではないかという描き方になっている。そしてその分、取材を通して羽生の人間像に引き寄せられていく深町の描写も薄くなってしまい……むしろどちらかといえば深町に異常性を覚える構造となってしまっている。お前すごいなそんなフワッとした感じでエヴェレストまで来ちゃうの……。

確かに『神々の山嶺』は雪山登山の恐ろしさ、そしてその神の領域に挑む男たちを描いた作品だが……それ以上にそんな雪山に挑む羽生のストイックさ……というより完全に狂人の域に達している人間像にこそ魅力がある作品だと思っている。常人とは全く異なる高みに達した羽生だからこそ、神々の領域と生きるか死ぬかの戦いを繰り広げることができ、語り部役である深町も、羽生という異常な男の影響を避けることができず静かに狂っていく……。そんなひとつの道に打ち込む人間の妄執、固執についての夢枕獏による執拗な描写に読者は胸を打たれ、山よりもむしろ羽生という男に目が奪われ、最後は深町と同様に心に羽生が取り憑いてしまうんだよな。

が、今回のアニメではここをバッサリと割り切ってしまった。夢枕獏性は残念ながらかなり損なわれていると言えちゃうし、羽生の異常性は少ない。声のせいもあってソリッド・スネークのような気さくさすら覚える好人物となってしまっている。でもここをバッサリ行ったからこそ映像作品としてのテンポの良さが出ているし、割り切ったからこそ雪山の描写は素晴らしい。間違いなくいいアニメだからこそ余計に複雑な気持ちが顔を出してくる。そんな映画だったぜ。

「冒頭坂道で転んで死ぬ井岡と船島!」「坂道で!?」

ところで神々の山嶺には実写版もある。2016年に公開された『エヴェレスト 神々の山嶺』だ。羽生役に阿部寛、深町役に岡田准一をあてがっており、さらになんと深町の担当編集である宮川役はピエール瀧! やったね。
こちら、劇場公開時は「うーん 微妙そう」と勝手に判断してスルーしてしまっていたのだが、アニメを見たら気になってしょうがなくなってきたのでようやく重い腰を上げて見てみたよ。

で、これがまたアニメとは全く違うアプローチでかなり面白いんだわ! 実写であることをきちんと活かし、カトマンドゥの雑踏やエヴェレストのベースキャンプといった絵景色をバッチリ映し出しているし、アン・ツェリン役には現地の人を採用、徹頭徹尾ネパール語でしか会話させないことによって従来のメディアミックスとは全く異なる質感を出すことに成功している。

そして何よりも深町の描写がアニメよりもやり込まれている! イベントも駆け足ながらなるべく端折らず(流石にネパールドタバタパートはないんだけど)、なんとか羽生という異常な人間を描こうと努力している。阿部寛というキャラ性に加え、深町が原作よりもかなり軽い人物として描かれているせいで、原作に比べると羽生が結構普通にいい人になってるじゃん、という問題はアニメ同様にあるんだけども、アニメと比べるとかなり異常! また、谷口ジローによる漫画版でなく、あくまで原作小説を下敷きにしているのも面白いところ。実は原作とコミック版では終盤の展開が全く異なるんだよね。

欠点としては阿部寛と岡田准一を標高7000とか8000に登らせると死んじゃうので、エヴェレストを登れば登るほど映像の作り物感が増していってショボくなっていくところ……。そういう意味ではアニメとは全く逆のルートを選んだ作品と見ることもでき、見比べるとかなり面白い。併せての鑑賞をおすすめしたいね。

いいか井上 映像化は結果だ

両者を見比べてみて感じたのは、結局のところ映像化というのは常に「選択」を迫られるものなんだよなということ。あれもこれもと掴み取ることはできない。だって違うメディアなんだから。そこでどんなルートを選ぶのか。何を目指し、なんのために映像化するのか……。つまり映像化って登山と同じなのかもしれないね。そしてこれは映像化だけでなくおそらく世の中のあらゆることに通じていることなのでしょう……。というわけで最後にオデルの言葉をそれっぽく引用してこの記事を締めさせていただきます。それじゃあね。

“そして今、私が思っているのは人には誰にでも役割があるということです。“

“よく考えてみればあれは私の姿なのです。そしてあなたの。この世に生きる人は全てあのふたりの姿をしているのです。“

“そして死はいつもその途上でその人に訪れるのです。その人が死んだ時、いったい何の途上であったのか。たぶんそのことが重要なのだと思います。”

最新情報をチェックしよう!