ゴジラ×コング3を撮る人どんな人?ロボット子育てSF映画『アイ・アム・マザー』をご紹介。

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 かつては実現するだけで奇跡だったはずの『ゴジラ×コング』だが、前作の大ヒットによりめでたく三作目の製作が発表された。原題は『Godzilla x Kong: Supernova(超新星)』とハチャメチャなことになっており、宇宙に関連した怪獣ということでガイガンやスペースゴジラの参戦を期待する声がSNSでは溢れているが、今はひとまず公式からの情報を待つ段階にある。

 現時点で判明している情報によれば、前2作で監督を務めたアダム・ウィンガードはスケジュールの都合で降板し、オーストラリアの新鋭グラント・スピュートリにバトンタッチしたことが公表されている。モンスターバースはこれまでもインディー映画出身の、ビッグバジェット大作を撮った経験のない監督を大胆に起用してきたことは知られているが、今回のグラント氏も現時点ではあまり知名度の高い映画監督とは言い難いだろう。

 調べてみたところ、グラント・スピュートリ監督はいくつかの短編映画やコマーシャルにてキャリアを積み、長編映画は2019年の『アイ・アム・マザー』のみという、これまた数段飛びの大抜擢である。モンスターバース首脳陣のハートを射止めたその手腕と作家性はいかなるものか、今回はNetflixにて配信中の『アイ・アム・マザー』をご紹介したい。

 人類が絶滅したその日、一体のドロイドが起動した。人間の「再増殖施設」にいたそのドロイドは、施設に保管されているヒトの胚を機械にセットすると、やがてそれは胎児へと形を変えた。

 それから年月が経ち、胎児はティーンの少女へと成長していた。ドロイドは“母(Mother)”を名乗り、少女は“娘(Daughter)”と呼ばれている。ドロイドは人類の再生を目的としており、彼女?は娘に教育を施し、やがて人類を導く存在になれるよう育てていく。外の世界は汚染されていて危険だ、という事実を添えて。

 ところがある日、施設の外から助けを求める女性の声があり、娘はその女を施設に招き入れてしまう。外の世界は人類が死滅した世界だと教えられていた娘は困惑し、女は自分の怪我を「ドロイドに撃たれた」と主張する。しかし母は、女の傷はドロイドではなく人間から撃たれたものだと言う。

 信じるべきは機械の母か、来訪者の女か。外界への興味を募らせていく娘だが、彼女には“弟”を授かるための試験の日が近づいていた――。

 本作のジャンルはSF×スリラーに分類されるだろうか。閉鎖された施設、念入りに殺菌された無機質な部屋に、鋼鉄の母親。母娘の関係は良好で、娘は母を信頼し、母は常に娘の世話を焼く。機械と人間の親子は、限定的な空間でのみ機能し、娘は徹底管理された温室で育てられた、世界でたった一人の箱入り娘だ。その奇妙な画のインパクトがまず目を引くが、物語が進み娘から母への信頼感にヒビが入っていくのと並行して、冷たい緊張感が視聴者の心を満たしていく。

 母=ドロイドは柔和な声で娘に語り掛けるが、どこまでいってもそれは機械的な音声であり、どこか冷たい印象に上書きされる。それでも娘にとってはこのドロイドが唯一の他者であり、愛をくれる母なのだ。しかしその安寧は、“女”の介入によって少しずつ崩れていく。絶滅したはずの外の世界からの人間の来訪、女を撃ったドロイドの存在、そして娘には知らされていないかつての子どもたち。母は嘘をついているのではないか?という疑心に、娘は囚われるのだ。

 心優しき母であり、厳しい教育者としての側面を併せ持つドロイドは、外の世界の話題になると冷徹さを増し、外から来た女にも問答無用で暴力を加える。それは家族を守るための機能ではあるが、娘にとっては恐怖でしかない。世界でたった一人の他者である母の、知らない顔。そこに、外の世界への興味が芽生えることで、娘は自分の価値観を大いに揺るがせていく。

 閉鎖空間での支配による恐怖と、新天地への誘惑。その狭間で揺れ動く娘には、とある試験が待ち受けていた。作中の言葉では“弟”となっているが、娘が守り育てるという意味で、娘は自分の子を持ち、胸に抱く段階に到達していた。娘がついに“母”へとなる瞬間。それはこれからの人類を導く役割を期待され産み落とされた娘と、彼女を育てた母にとっての集大成であり、新たな人類史の1ページだ。

 その世紀の瞬間を前に、二人の仲を引き裂くように現れた女は、人類を本当に絶滅させる引き金となるのか。新世界のイブたる“娘”を外界へと誘う“女”は、まるで失楽園を促した蛇のように見えてくる。何せ、機械の母は目的成就のためなら手段を選ばない冷酷さを秘めていて、その血の通わなさが恐ろしく感じられるのだ。一方で、外の世界は人間が生きられる保証などどこにもない。不確定な未来を自分で選ぶとなればそれは紛れもなく成熟、大人になることに他ならないが、娘の肩には人類存続と、いずれ母になる者として子を守る使命が課せられている。果たして、娘はどちらを選ぶのか。

 本作はエンドロールに至るまで、示唆に富んだ物語を絶えず展開し続ける。個人名ではなく“母”や“娘”と呼ばれる登場人物たちは課せられた役割が行動の動機となり、全体の幸福を説いていた母の教えに逆らう娘の姿は反抗期や巣立ちのメタファーのようで、「母性」とは植えつけられるものか生まれ持った本能か、という問いを観る者に突きつける。序盤の字幕にある違和感の正体や“女”の謎がクライマックスに明かされ、『I Am Mother』の原題に全てが回収されてゆくオチも圧巻の一言。その全容は、ぜひともご自分でお確かめいただきたい。

 というわけで『アイ・アム・マザー』を鑑賞してみたが、ドロイドのデザインやアクションに目を見張るものがありつつも、巨大生物や都市破壊といった怪獣映画に求められるフェティッシュは本作の設定と食い合わず、大抜擢の決め手となった要因を見抜くのは難しい。が、『ゴジラxコング』第3弾出演キャスト曰く今回は「人間サイドをさらに掘り下げる」との方向性らしく、緊張感のあるサスペンスとブラックユーモアたっぷりな着地をキメた作劇の手腕を買われての起用なら納得がいく……かもしれない。

 とはいえグラント・スピュートリ監督ご本人は今回の起用に大喜びで、同時に怪獣ファンであることを自身のInstagramで公言しており、その愛がほとばしるフィルムになることを期待するばかりである。『Godzilla x Kong: Supernova』は(記事投稿時点で)2027年3月に米国公開予定で、おそらく日本でも近い時期に劇場で拝めるだろう。一体何がどうなって宇宙とゴジラ×コングが交差するのか予想すらつかないが、期待の新鋭グラント・スピュートリの名前を覚えておくと、2年後に通ぶれるのでオススメだ。

『アイ・アム・マザー』はNetflixにて独占配信中。
https://www.netflix.com/title/80227090

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