作品性からもバズからも逃げないぜ感がむしろ好ましい『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』

マシーナリーとも子

自分の内面には間違いなく複数の自分がいて、どれかひとつ選ぶことはできない

 心というか魂というか性分というか、ともかくどんな呼称を取るにせよ、「内面」というものは嫌でも「成長してしまう」というか形を変えてしまうもので、10年前20年前の姿に戻ることはできない。

 たとえば『機動戦士ガンダム』について、いつまでも「中二病」のような感覚を持っていたいという気持ちが、間違いなくある。ガンダムがカッコよく戦っていればそれが一番で、あとはなんかインテリっぽいストーリーも繰り広げられていれば……それをちゃんと受け止められるかどうかはともかく、見ていて心地が良い。

 プラモデルを買ったらビーム・キャノンとか高機動スラスターユニットとかを盛ってもっと強くしたいし、『スパロボ』や『Gジェネ』で強い機体は強いから、大好きだ。
 そういうあまりにもガキっぽい考え方を捨てたくないと心のどこかでは思っており、いまでも捨てないように大事に保護しているというか飼っているというかそんな感じがある。

Ξガンダムは『GジェネF』で序盤で手に入るうえにめちゃくちゃ強かったから好きだし、ペーネロペーは現在『GジェネETERNAL』でかんたんに作れるうえにめちゃくちゃ強いから好きだ

 同時に……これはこれで「中二病」とは別種の気取りがあるといえばあるのだが、「そうではいけない」という気持ちも大人になるにつれてどんどん生えてくる。

 ただ単に武装を増やしたりメカ・ディテールを増やして「かっこいい」と思うのは取捨選択を知らないガキのやることだ、と思うようになったり、いやロボット同士のチャンバラなんかに気を取られてないで、作品にどんなメッセージが込められているか。そういう物語の本質を見極めることのほうが大事なんじゃないか? とかそういう……わざと意地の悪い言い方をすれば「高尚」な触れ方をするべきだろう、という思いもこれは包み隠さず言えばある。絶対に私の中にそういう感覚はある。

それだけ大人の世界が歪んでるってことだ…(成人男性)

 で、こうした「子どもじみた感性」と「大人ぶった感性」というのはどうしても対立するふたつの見方というかたちになりがちで、インターネットという荒野ではそのどちらかに軸足を置き、相手側をバカにする、そして自分の側こそがより「良い」ものの見方だ……という行動をみんな取りがちだ。
 こういう言い方をすると、読んだ人は自分たち側の見方に文句を言ってる人たちのことを思い浮かべて「確かにそうだ あいつらはそういうことをする」と思うかもしれないが、これは恐らくみんな多かれ少なかれやっていて、あなたもやってるし私もやっています。

 でも、よく自分を省みてみれば、そうした感性はどちらかを選んで所属するなんてこと自体が間違っていて、自分のなかに両立して保持されているはずなのだ。自分のなかには間違いなく「ガンダムかっこいい! メガ粒子砲撃ちたい! プラモほしい!」という気持ちと、「人類は、このままでいいんでしょうか。私たちはもっと、みんなに優しくならなきゃいけないんじゃあないか…?」という気持ちが完全に両立している……。

 そんなことを『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を見ていてなんとなく考えてしまっていた。

暗い戦闘シーンの良し悪し

 前作でも言われていたし、今作ではことさらに言われているがアニメ『閃光のハサウェイ』はとにかく戦闘シーンが暗い。

暗くてマジでわかんない!(グスタフ/カールが2体飛んでいる)
ビームが横切ると反射でうっすら見える

 光源はMSのセンサーとスラスター、そしてビーム光しか無いと言って良いに等しく、MSの姿はシルエット以外まったく判然としない。

 その結果、「子どもの感性」としては「もっとガンダムを見せてくれよ!」「どんな戦い方をしているかよくわからないよ!」と思ってしまう。 

 自分は、劇場で見てるあいだ、最後まで「アリュゼウス」がどんな形なのかわからなかった。ペーネロペーと似た形の、鳥のようなスタビライザーがついていること。中からνガンダムのようなものが出てきたことはなんとかわかり……あとはνガンダムのようなもののフロントスカートはヘヴィ・ウェポン・システムのそれで、律儀に隠し腕を使ったところで「MG Hi-νガンダムVer.Kaの販促なのか?(なぜ?)」と思ったりした。

 Ξとアリュゼウスが繰り広げる攻防は、正直なにが起こってるのか全然わからなくて、どうやってΞが勝ったのか、という勝ち筋がよくわからなかった。そういえばアリュゼウスがトラップのミサイルに被弾していたが、あれが元から仕掛けられていたものなのか、それともΞが自分のミサイルをなんか外すとかなんかして置いておいたのかも(そんな使い方ができるのかはしらないが)わからなくて、「えっ あのミサイル何!?」に思考を2秒くらい奪われたりした。
 νガンダムらしきもの、も劇場の段階では色彩も相まって「ただのνガンダム」に見えていて「あれかな? 最近プラモのネタにしてるロールアウトカラーなのかな? 特報映像のパロディもしていたし」 と思っていた。量産型νガンダムだとは映画を見ているうちは全然気づかなかった。

確かにいま見ると肩正面が量産型νだな…(だから暗くて見えないんだって!)

 そういう「不満」は間違いなく抱えながら劇場を出た。
 でも同時に「こういうことをしたい、という我を通したんだろうな」というスタッフ側の気持ちめいたものも勝手に邪推する気持ちがあって……これは完全に「大人ぶった感性」なのだが、それをとても好ましいとも感じていた。

 「暗闇でMSの姿が判然としない」はリアルといえばリアルで、これは作中パイロットの疑似体験ができてうれしい、という見方もある。
「今回の映画には完全新規デザインのMS”アリュゼウス”が出て、これは量産型νガンダムをベースにしたペーネロペーの練習機で、こういう形です!」という宣伝をまったく聞かない状態でアリュゼウスと対峙した私たちの「なんだこいつは」という感情は、あのときハサウェイとまったく一致していたはずで、そんな感情を持ったまま高速戦闘を行わなければならず、スラスター光とビームは見えるけど、なんか人型に見えなくて不気味だ! と思えたこと自体はものすごくいい体験だったと思う。

 「暗くてよくわからないことで、むしろビームや爆発の恐怖感が際立つ」という体験ももちろんあるし……前作もそうだけどアニメ『閃光のハサウェイ』はビームって、メガ粒子ってすごいし怖いぞ、という描写が強めに出ていてそれはとても好きだ。私たちゲーム世代は、「Ξとペーネロペーと言ったらやっぱりファンネル・ミサイルでしょ」と思ってしまいがちだが、しかしやはりビーム・ライフルとビーム・サーベルというのは当たれば間違いなく死ぬ恐ろしい兵器なのだ。

 そしてもちろん「暗くすることで、3DCGモデルの質感の違和感をごまかすことができる」という効果もあるのだろう。すでに各種ゲーム作品とか、『MS IGLOO』とか『GUNDAM EVOLVE..』とか、なんなら『SEED FREEDOM』や『GQuuuuuuX』のノウハウもあるだろうに、まだこんな誤魔化しって必要なのかしらと思ったりもしないでもないけど、なんかまあ色々あるんでしょう(思考放棄)。

本作のクレバーさは嫌いになれない

 戦闘シーン以外もそうだが、本作は「ロボットアニメらしい高いテンション」を意図的に抑える意図が感じられる。
 そうした意味では、「暗闇でよくわからない戦闘シーン」というのはある意味「ロボットの戦闘をカッコよくなんか見せてやらないぞ」という意思表明も少なからずあるのではないかと思う。
 それは「そもそも戦争、もっといえばテロリズムを華やかに見せることは良くないんじゃないか」であったりとか、もっといえば「ロボットの性能とか機能をカッコよく見せるのってバカバカしいし意味ないでしょう」ということなのかもしれない。これは、そもそもの原作である富野由悠季氏も言っていることではあるし、ゲームやプラモデルといった商業的な側面への反発心であるとも考えられる。とはいえ、富野監督はそう思ったうえで「まあできますからやってみせますけどね」をやっちゃうお茶目でかっこいいおじいちゃんではあるのだが……。

https://webnewtype.com/report/staff/1098452.html

 「だから、映画『閃ハサ』も富野監督のように、『Gレコ』みたいな鮮やかにカッコよく戦闘シーンを魅せるべきだっただろ」という話をしたいわけではなく、「今回はそうしない選択をしてみました」というのを尊重したい。

 というかなんか……この映画、随所に「こうしたら……一石二鳥かもな!」みたいなクレバーさを感じられて、そこが案外嫌いじゃないなと段々思えてきたんですよね。

「戦闘シーンを暗くしたら、質感を誤魔化せるしロボットをカッコよく見せない”大人のアニメ”っぽく見せることもできるし、同時にこんな戦いをカッコいいと思っちゃあいけないんですというメッセージ性も出せるし、作品全体の静かでチルい感じも維持できる! シナジーがいっぱい発生したぞ!」
「でもガンダムとして商売はしなきゃいけないのでハデな新型MSも出すし量産型νガンダムも出すし、わざとらしいくらい『逆襲のシャア』を意識した演出も盛りマース! Ξのガンダム顔もマスク割れで見せマース!」
みたいな……。俺達はイイカンジに作品と商品のいい塩梅のバランス、出せるぜッ!? みたいな……そういうクレバーさを勝手に感じて、「巧いことやるなあ」とちょっと好ましく思ったのでした。ン、好きだぜ、ハサ。

 『ガンダム』にしてはエンタメ作というよりタイミング的に偶然社会風刺感も出てポリティカルな雰囲気も出せたし、ガンダムやアニメ好きじゃない人もいかがですか! な雰囲気も出しつつ、しかしそれでいてバズったから偽マフティーを宣伝でめちゃくちゃ使って反省を促したりもしてみせる。やれちゃうんだなあ。そういった意味では本作の立ち回りって案外ハサウェイというよりもギギやケネスっぽいのかもしれませんね……と、ここまでストーリーの話ぜんぜんしなかったので最後にちょっとだけ例え話で触れて今回は終わりにします。そういうまじめな話はちゃんとした批評家の方々にお任せますわ。

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