どうもくそげろっぴです。
前回はピンク映画の異質な関係性で2作品取り上げました。
今回は「江戸川乱歩 異形たちの理想郷を描く恐怖奇形人間」として個人の体験を交えながら書かせていただきます。
私が江戸川乱歩に触れたのは小学生の頃、周りの人間と馴染めず図書館に入り浸り、空想の世界に逃避していたのですが、ふと書物を物色していると「パノラマ島奇譚」というタイトルに出会いました。あらすじに惹かれ、恐る恐るページをめくると、そこには孤独な人間の創造する奇怪な夢が広がっていたのです。
学校という社会に閉塞感を抱いていた私にとって、歪な空想の中で居場所を見出した感覚は言い知れぬ程の甘美と興奮に酔いしれ、社会の淵で蠢く文化の入口へと誘われました。
乱歩の描く世界は奇形・食人・変態性慾・人形愛…etcと人間が隠し持つ異常な内面をまざまざと表現し、映像作品においても映画・ドラマ・アニメとあらゆる媒体で影響を与えました。最古の乱歩映像作品は1927年製作「一寸法師」で、フィルムは残念ながら現存されていませんが、乱歩が当時の新聞を切り抜いた「貼雑年譜」にて詳細が確認できます。
数多く存在する乱歩映像作品ですが、今回は石井輝男監督が独自の観点から昇華させた作品をご紹介します。
「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969)
本作は奇才・石井輝男監督の東映異常性愛路線における最終作品です。主演は石井輝男監督作品でお馴染みの吉田輝雄、丈五郎には暗黒舞踏家である土方巽が異様な存在感で作品を印象付けています。
石井輝男監督は週刊誌で土方巽の写真に興味を抱き、後の「残酷・異常・虐待物語 元禄女系図」でオープニングに起用します。その際、土方巽が生きている鶏を食えている場面に衝撃を受け、恐怖奇形人間で重要な役に抜擢されました。
「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」はかねてより乱歩作品の映像化を熱望していた石井輝男監督が「パノラマ島奇譚」をベースに「孤島の鬼」「人間椅子」「屋根裏の散歩者」…etcを混ぜ合わせた作品です。その経緯について「今後、江戸川乱歩を映像化する機会は無いと考え、他の短編もいれてしまえと思い付いた」と述べています。
物語は「パノラマ島奇譚」「孤島の鬼」の要素をなぞりながら進行します。島へと巡る過程はミステリー仕立てで、人見広介の周りで起きる殺人・死者への擬態・記憶の秘密を探りに丈五郎の島へと向かいます。そこで人見広介が目にする奇形人間の島は異様そのものです。
奇形人間の島をひとしきり案内され、丈五郎は島の目的を口にしますが、その台詞は本作の意図を象徴しています。
「わしは正常な赤ん坊や年寄りを集めてきて、奇形人間を製造してきた」
「この島が出来上がれば奇形人間は解放だ。奇形人間の王様だ」
「お前たちのようなまともな身体のやつには片輪者の苦しみはわからんのだ。世間の白い目、嫌悪の目、嘲笑軽蔑。なにもわかるまい」
「貴様も奇形人間になるのだ」
身も蓋もない台詞ですが、奇形人間を抑圧する社会への憎悪がひしひしと伝わります。奇形人間という正常から外れた存在による、異形の理想郷を御伽噺話のように話しているのです。
このように常軌を逸した作品ができるまでには、当時の東映異常性愛路線による経緯があります。
石井輝男監督は「徳川女刑罰史」(1968)という拷問・SMといった変態性慾の極致たる作品を打ち出し、東映映画興行収入第2位を記録しました。それから幾つも「東映異常性愛路線」で作品が製作されましたが、「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969)で撮影に耐えかねた女優の逃走、助監督の「東映異常性愛路線反対声明」、世間や東映内部でのバッシングなど現場は混乱を極めたのです。「徳川いれずみ師 責め地獄」は現在だと評価の高い作品ですが、批判状況を鑑みた石井輝男監督は信頼できるスタッフとともに東映異常性愛路線の最終作「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969)に取り掛かります。
能登半島を舞台にした石井輝男監督は、映画業界や世間という社会から外れた存在として奇形人間の夢を描きました。原作「パノラマ島奇譚」における人見広介が「神によって作られたこの大自然を、それには満足しないで、彼自身の個性をもって自由自在に改変し、美化し、そこに彼独特の芸術的大理想を表現」する過程にも重なります。「恐怖奇形人間」そのものが石井輝男監督における社会からはみ出した理想郷であり、人見広介と同様の形で実現する作品のようです。
物語は後半、正体を隠していた明智小五郎が突如として事件の全容を明かしていきます。そのシーンは荒唐無稽そのものですが、石井輝男監督の江戸川乱歩オマージュがテンポよく展開されていくので、妙に納得してしまう潔さです。
明智小五郎の名推理により事件の全貌が明かされ、丈五郎は夢が破れたのを悟り、人見広介も愛し合った女性も自身の兄妹だと知らされ結ばれない恋に心中を図ります。原作「パノラマ島奇譚」ではラストに自身が花火の如く打ち上げられ、芸術的大理想たるパノラマ島に血が彩られますが、映画だと結ばれない恋を儚んで花火に打ち上げられる悲哀的なラブロマンスへと急展開していくのです。
本作は1969年公開後ソフト化されず、「東映異常性愛路線」も終焉を迎えました。ところが、リバイバル上映や海賊版で蠢くように信者を増やしていき38年後の2007年にようやく海外のsynapseレーベルから販売されます。当時、鬱屈した学生時代を過ごしていた私は初めて輸入盤で鑑賞し、めくるめく異常な展開と華々しい花火のラストに尋常ではないカタルシスを感じました。
石井輝男監督は本作を「虐待された作品」と形容しておりますが、社会に抑圧されながら倫理観を超えた異常な夢を叶えようとする作品として唯一無二の魅力を放っております。
以上です。もし機会があれば他の江戸川乱歩作品「盲獣」「屋根裏の散歩者」なども取り上げさせていただきます。
くそげろっぴ どうもくそげろっぴです。普段は歪な作品や文化を取り上げ、イベントやメディアで発信させていただいております。 第一回はピンク映画を題材に異質な関係性の作品をご紹介します。異質な関係性の作品を取り上げようとしたきっかけは[…]
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