「フィンランドで最も暴力的な映画」が登場!
フィンランドと言えば何を思い浮かべますか? オーロラ、サウナ、ムー●ン…。幸福度ナンバーワンの国、ほっこりフィンランドのイメージと言ったらそんな感じでしょうか。…ちがう!!! 暴力!!! いいですか、フィンランドと言えば暴力なのです!!!!
なんて言うと語弊を招きそうなので付け加えると、暴力「映画」ですね失礼いたしました。フィンランド映画と聞いて思い浮かべるのはアキ・カウリスマキ監督作品あたりな気もしますが、近年ハイパー暴力がポップに炸裂するアクション大作『SISU シス 不死身の男』(2022)の衝撃的な登場もあり「ジャンル映画不毛の地」と見なされてきたフィンランドのイメージにも少し変化が生まれてきたのではないでしょうか。


ちなみにアキ・カウリスマキ監督の兄、ミカ・カウリスマキは『ラスト・ボーダー』(1993)というパチモン『マッドマックス2』(1981)な映画を撮っているので、ひっそりとそんな血脈があったのかも。
さて血脈と言えば…そう、『血戦 ブラッドライン』(2024)!! この映画、フィンランドにおいて暴力表現の激しさから劇映画としては異例の「K18」(日本で言うところのR18+)指定となってしまった一本。この件はフィンランドではかなり強いインパクトを与えたようで、同国の大手新聞にて「フィンランド史上、最も暴力的な映画」と書かれてしまったと伝え聞きます。監督は本作が商業デビュー作となるインディペンデント界出身のイサ・ユシラ。


『血戦 ブラッドライン』のストーリーはこんな感じ。
なるほど、裏社会の男たち(北欧やくざ)と殺し屋軍団の抗争、そしてそれに不運にも巻き込まれてしまった主人公の姿を描くお話なんですね。トラブルに巻き込まれてしまうあたりは『ダイ・ハード』(1988)っぽいのですが、それもそのはず、ユシラ監督いわく本作は『ダイ・ハード』×『セルビアン・フィルム』(2010)がコンセプトの根っこにあったとのこと。なんじゃそりゃ!
アクション×ゴア! そして…ドラマ?!


『セルビアン・フィルム』ってどないなこっちゃ…と思うも、本編を観たら「なるほど」と思える作り。冒頭から惨殺された女性と子供たちの死体がスクリーンに映し出される。端正な映像に整えられているので、これ見よがしなグロさはないものの、なかなかにハードコアですな。
さらに物語が動き出すと、鉄条網を巻き付けたボクシンググローブ(!)によるブン殴り拷問や、北欧やくざと殺し屋軍団の文字通り血で血を洗う戦争がノンストップで展開。血と肉がバッシャンバッシャン飛び散り続ける様はハードコアを飛び越えてハード「ゴア」。バイオレンスの枠を超えてスプラッターへと足を踏み入れている表現には非倫理的な匂いが漂います。
しかし、ただグロっちいだけではないのがこの映画の特長。北欧やくざと殺し屋の頭目の間に流れるドラマを推進力として物語が展開されるのですが、ここが明確に定まっているので、登場人物の行動に理屈を超えた一貫性が生まれてくるのです。では登場人物相関図を眺めながらそのあたりを掘り下げてみましょう。


対立軸は裏社会の拠点「クラブ」を仕切るリンド三兄弟と、殺し屋のバレットが率いる処刑軍団。バレットは「ある目的」でクラブを襲撃するのですが、それが三兄弟のドラマと直結していくわけですね。ネタバレに触れるのは後ほどとして、ここではそのドラマ性と、それゆえに生まれる映画のおもしろみについてお話していきたいと思います。
俺は生き残りたいだけ! ドラマを持たぬ主人公が爆誕!
物語の構図を眺めてみると「あれっ」と思いませんか? そう、主人公が蚊帳の外! 主人公のカイヴォラは刑務所から出所してきた直後に「クラブ」に雇われるのですが、なんと勤務初日に構想に巻き込まれてしまう超絶不運男。リンド三兄弟に命を張る義理もないし、そもそも攻め込んできたバレットなんて顔も見たことないし。全方位にたいして「知るか! 俺を早く家に帰らせろ!」という気持ち。なので、映画を貫くドラマから徹底的にはみ出している人物が主人公なのです。えええ。


異常な状況に放り込まれてしまった主人公カイヴォラ。そんなドラマを持たぬ男が主人公って…大丈夫? と違和感を覚えた方も多いように思います。ただ、ここで考えてほしいのが映画全体の作りについて。ドラマ外の人間を狂言回しにすることで、リンド三兄弟にも、バレットにも寄らない視点を観客は得ることができるのです。つまり、主人公=観客というTVゲーム的な感覚へとつながります。ヤバい状況に追い込まれた時、あなたはどうする?! そういった追体験エンタメとしての性質を映画に付加する役割を主人公は果たしています。
さらに、その裏付けとなるのが主人公のムーブ。なんとカイヴォラ、殺し合いの中でひとりも人を殺していないのです。スクリーンの外にいる我々が映画に干渉できないように、カイヴォラもまた大きな動きをもたらさない。ここに監督の明確な意図が見え隠れします。あえて言うなら『ジョン・ウィック』(2014)的な「無敵系」に対するカウンターの意識でしょうか。


もちろん、カイヴォラが魅力に欠ける人物である、ということはありません。撃つ銃はひたすら弾切れ、意外とすぐに殴り倒されるも、持ち前のガッツとタフネスで死地を乗り切る。そして特技の腕折りが「ここぞ」というときに火を噴く! ちゃんとキメるときはキメるお方なのです。さらに、物語の転換点においてはカイヴォラが重要な役割を果たしていることもお見逃しなく!
カーペンター・イズムここにあり
このキャラクター造型、どこかで観たことがないでしょうか。そう! ジョン・カーペンター監督『ニューヨーク1997』(1981)のスネーク・プリスケンです! 孤高のアウトローでありながら、ドラマの外にいる人物、ヤバい状況に放り込まれて奮闘する男。カイヴォラはスネークの要素を徹底的に転写したキャラクターと言えましょう。
また、映画の「籠城モノ」というシチュエーションは、同じくカーペンターの『要塞警察』(1976)を彷彿とさせます。ハワード・ホークス『リオ・ブラボー』(1959)に全力オマージュを捧げた同作は、四方八方敵まみれの中で悪戦苦闘するアクション・スリラーの傑作。『血戦 ブラッドライン』がカーペンターを強く意識していることは、劇中で流れるスコア楽曲のタイトルに「Carpenter was Here(カーペンターここにあり)」と冠されていることからも明白でしょう。


『血戦 ブラッドライン』がカーペンターを意識した作品であることに間違いないですが、さらに視点を高くすると、より大きなジャンルの最新系であることも見えてきます。カーペンターはハワード・ホークスを崇める西部劇ファン。おなじくユシラ監督はサム・ペキンパー信者。サム・ペキンパーはクリント・イーストウッドを見出したドン・シーゲル監督の一番弟子。つまり、『血戦 ブラッドライン』の源流には西部劇があるのです。物語を俯瞰視すると、2つの対抗する勢力、そして流れ者…と、構図はそのまま西部劇であることがお分かりいただけるはず。『血戦 ブラッドライン』は北欧版現代西部劇なのです!
<エクストリーム・ノワール>とは何ぞや?!
映画の根底を支えるジャンルに「西部劇」があるのと同時に、映画のキャッチコピー「エクストリーム・ノワール」に表れている「ノワール映画」の文脈にも『血戦 ブラッドライン』は位置しています。
ノワール映画の特徴と言えば、謎と陰謀が渦巻く犯罪や裏社会、そしてそこに生きる男たち。ミステリーとも相性が良いこのジャンルについては、ショットガンで頭を吹っ飛ばされた怪事件を起点として話が展開する『ローラ殺人事件』(1944)がその嚆矢として挙げられましょう。ショットガンで頭が吹っ飛ばされまくる『血戦 ブラッドライン』はまさにその流れにある! …なんてそれは冗談ですが、しかし『血戦 ブラッドライン』が持つ「裏社会とその謎」要素は確実にノワールと言えるもの。


その謎とは、リンド三兄弟の次男ミカエルの妻と子供が殺された事件。先に述べた映画の冒頭を飾るシーンです。組織の跡継ぎとして将来を期待されていたミカエルは、妻子を喪ったことで心を病み、クラブの上階へ引きこもるように。この事件は誰によって仕組まれたのか、そしてクラブを襲撃したバレットとのつながりは…。この点が「ノワール的な謎」と「血風吹き荒れるアクション」をシームレスに結びます。ゆえに本作は単なるノワールではなく、エクストリーム・ノワールと銘打たれるまでに至ったわけです。
≪ネタバレ注意!≫リアルタイムで進行するドラマを解説!
ノンストップな殺し合いを描いたシンプルな映画に見せかけて、西部劇やノワールを包括したハイブリッドな作りである『血戦 ブラッドライン』。この映画はさらに興味深い作りをしていることにもご注目を。
冒頭のミカエルの妻子殺しのシーンを除き、タイトルインから映画は常にリアルタイムに近い形で進行します。そこには基本的に回想はなく「その状況」が描かれるのみ。つまり、観客は常に進行し続けるストーリーから人物や人間関係、そして映画の中で明かされてゆく謎とその真実を紐解いてゆく必要があります。


「説明台詞」を本作は徹底的に廃していることにより映画は停滞を見せず、流体のように動き続けます。邪推かもしれませんが「無敵系アクション」に対するカウンターと思しき人物造型と同様に、本作において「状況の把握に必要なものを映すけど、わざわざ過多な説明はしないよ」という姿勢はある種の「反メインストリーム」的な、ユシラ監督のパンクな精神が反映されているように思います。
とはいえ、これって映画にとって本来は普通なこと。本作のリファレンス元であるノワール映画においても、例えばドン・シーゲル監督の『殺人者たち』(1964)を思い出すとお分かりいただける通り、主人公たちが絡めとられた陰謀の正体を事細かに説明せず、その状況を活写してゆくのは基本中の基本。その点から言えば、近年の映画は説明過多であるとも断ずることができましょう。
一方で、映画において登場人物の関係性がミソとなる部分もあるので、ここを押さえておけば『血戦 ブラッドライン』をより楽しめることは間違いナシ! なので、ここはネタバレ上等で紐解いてみようと思います。
≪ネタバレ注意!≫ミカエルの家族殺し、謎解き編
映画における謎、ミカエルの家族殺しについて。これは長男ジョンと三男ニコが仕組んだものでした。妻マリと結婚して裏社会から足を洗おうとしていたミカエルを引き留めるための工作だったのです。そこで殺し屋として使われたのがバレット。ジョンとニコはバレットの弟トーマスを誘拐しクラブに監禁。自分たちの正体を明かさずにバレットに汚れ仕事を押し付けていたわけです。


バレットはジョンとニコの命令通りに裏社会の汚れ仕事を片付けていましたが、ミカエルの家族殺しのみ、一般人を殺す「異質な仕事」として記憶していました。そこにはバレットなりの良心の呵責があったように見えます。しかしバレットは苦虫をかみつぶし、粛々と仕事を続けます。弟を取り戻すために。しかし仕事を続けても一向に弟は戻ってこない。しびれを切らしたバレットは発信器を仕込んだ男をクラブに送り込み、場所を特定。襲撃をかけます。
ここでクラブの裏の顔についても見ておきましょう。クラブでは顧客からの依頼に応じて「外に出せない人間」や「始末すべき人間」を監禁・殺害しています。バレットの弟トーマスも同様に監禁されていました。しかし、トーマスの監禁がジョンとニコの意志だったかは定かではありません。もしかしたら彼らより上の立ち位置にある顧客からの依頼であり、それをジョンとニコは利用しただけだったとも考えられます。ここに陰謀の全容が姿を見せない「ノワール感覚」の横溢を見て取ることができるでしょう。


トーマス奪還のために行ったクラブ襲撃の中で、バレットはもう一つの真実にたどり着きす。一般人殺しの時に見た写真、それがクラブにあったのです。一見すると普通の家族写真。そこに映っているのはリンド三兄弟。そこでバレットは自分が殺したのはミカエルの妻子であったこと、そしてジョンとニコがそれを仕組んだことに気づくのです。
≪ネタバレ注意!≫実は主人公ポジション?! バレットという男
バレットという人物は本作の悪役ポジションです。しかし、少し見方を変えるとそこに疑問がわいてきます。だって、誘拐された弟を取り戻すために八方手を尽くし、さらにはおぞましい謎まで解いてしまう探偵の役回りなのですから。つまり、視点を変えるとバレットは主人公(ヒーロー)の要素を持った人物であり、なんならジョンとニコの方がヒールなのです。
しかし映画はカイヴォラの目線より切り取られているため、リンド三兄弟のおぞましき絆も、バレットのヒロイックな行動も、ともに等しい質量のドラマとして描かれます。このクールな感覚が爆発するのが映画のラスト。ジョンとニコによる陰謀に気づかされたミカエルは、家族殺しの仇を知り憤怒に囚われます。しかし、兄弟の絆を断ち切ることはできず、彼は外敵であるバレットに立ち向かうのです。ここに正義と悪を超越した、心が震えるドラマが生まれます。


一騎打ちするミカエルとバレット。しかしその実、この二人に殺しあう因縁は無いのです。バレットはミカエルの家族を殺しましたが、それはジョンとニコの指示。バレットの意志ではない。またミカエルもバレットを恨む理由はない。銃ではなく、それを使った人間を本来は憎むべきだという理屈です。しかし、ジョンが、ニコが、バレットが、運命が絡み合い始まってしまったこの血戦に終止符を打てるのはミカエルしかいないのです。呪いを終わらせるかのようにミカエルはバレットとの決着をつけることを選びます。
ここでミカエルもバレットも銃を手放します。それは互いの覚悟の現れであり、フェアプレーの精神でもあるのです。俺たちのどちらかが死んで、全てを終わらせる。そのためは互いに納得のうえで選択したスタイルでないと意味がない。そんな相互の了解がなされる瞬間(ドラマ)がここにあるのです! それは理屈を超えた、純粋な魂の衝動とも言いかえることができましょう。


スルメ映画だよ!『血戦 ブラッドライン』
さて、怒涛のネタバレ解説を行ってまいりましたが、いかがでしょうか。映画を観た人は『血戦 ブラッドライン』の別の顔を覗けた気がしませんか? この映画、単細胞なアクション映画に見せかけてものすごく複雑なレイヤー構造の上に成立している作品なのです。
ここでは書ききれなかった細かいニュアンスもまだまだ映画の中には潜んでいます。例えば、バレットとコッチのナイフの刺し方が同じ…など。映画はあえて「その瞬間」を切り取る作りですので、饒舌にドラマを語りません。観客が映画からドラマの欠片を集めて、そして己の中で醸成させるのです。その視点から本作を観ると、新しい発見がたくさんあるでしょう。まさにスルメ映画!


派手なゴア表現で目を奪う『血戦 ブラッドライン』はその実、真価をそこのみに置いておらず、クールな表面を剝ぎ取った中に脈打つドラマの輝きを秘めています。まさに凍える北欧の風に鍛えられたフィンランド人の皮膚のよう。彼らは表情をあまり表に出すことなく、感情表現が少ないとされています。しかし、内に秘めたるものは「SISU=不屈の精神・フィンランド魂」! ストイシズムと熱血の融合こそ、まさに本作がフィンランドから生まれた唯一無二の<エクストリーム・ノワール>たる所以なのです。
『血戦 ブラッドライン』をまだ観ていない方も、もう観た方も、映画館で上映しているうちにスクリーンで血肉吹き荒れるドラマを体感してください!
『血戦 ブラッドライン』は2025年4月18日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館、池袋シネマ・ロサ 他 全国順次ロードショー!
※劇場では『血戦 ブラッドライン』のパンフレットも発売中! ここに書かれていない内容も補完された必読の副読本となっています。是非お買い求めください。

