私はなぜデッサン教室で真田広之を描くに至ったかその変遷

マシーナリーとも子

突然ですが私、マシーナリーとも子は現在絵画教室に通いつつデッサンを学んでいます。

夢ならばどれほどよかったでしょう

確か春ぐらいから始めたからそろそろ半年くらいになるのかな?
始めたきっかけは当然「絵が上手くなりたい」からで……。やっぱさ、

「じゃあどうやったら絵が上手くなるのかなあ?」

って考えたときに

「やっぱデッサンじゃね?」

みたいな思考の流れってあるじゃあないですか。

「ダイエットしたいなあ」

と思ったときに

「やっぱ腹筋じゃね?」

ってなるのと同じです。
っていうか、これまでも本とか買ってやってきた。

ジャック・ハム先生の本はすべてのお絵描きマンの本棚で埃を被っていると言われている

だけど、ある日ふと思ったんですよ。「私は我流でやろうとしすぎていないか?」「誰かから学ぶことも必要なんじゃないか」「今の私に必要なのはメンター」と、そう思った。

気づけば自営業生活も5年だ。自営業のいいところは好き勝手に生きていけること。だが同時に、自分に指導や教育をしてくれる人を失うということでもある。自ら学ばねば力を高めることはできないのだ。

だから我流で学ぶ、それはいい。だがそれは本当は犯してしまっているミスや、少しの手直しでもっと良くなるものを「なんかええ感じやん」で終わらせてしまったり、致命的なことをやらかしたときに怒ってくれる人がいないということでもある。
そんな状況でひたすら成長できるのはひと握りの天才であり、そして自分は天才ではないので人に教わる方がいい。それがデッサン教室に通い始めた動機です刑事さん。

まあまじめくさった能書を垂らしてみましたけども、単純に楽しいですよデッサン教室。人から教わるのって楽しいし上達が早くて楽しい。
ただ誤算だったのはさあ……。

なんか……なんか「絵画技法としてのデッサン」と「イラストや漫画を描くときに言われるデッサン」って言葉は同じでも違う意味っぽいんだよね! 通い始めてから気づいたわ。

前者はあくまで技法っていうか「やること」の話であって、あくまで「対象を観察して鉛筆とか木炭で描くやり方」って言うかさ。シルエットがちゃんと追えているかとか、質感がちゃんと出せているかとかそういうことを目指すのが絵画教室で教わるデッサンだったわけ。

でも「イラストや漫画で言うところのデッサン」ってどっちかというとそこから発展した「デッサン力」とでも言うべき言葉で、「絵が歪んでないか」とか「パースがおかしくないか」とかそういう時に使う言葉だったんよね!

だから必死にハッチング入れて質感を表現してる時とかに「これ……デッサンか???」ってなったりしてた。デッサンではあるだろ。

人物を描く。そこに意味が生まれる

そして鉛筆デッサンカリキュラム最終課題にてその時は来た。人物デッサンである。人物デッサンとは人物の、デッサンである。

先生は「自分の顔か適当な人物写真を見ながら書いてみましょう」と仰る。

サアー困ったぞ。何を描けばいいんだ。
まず自画像は絶対に嫌だ。なんで何時間も自分の顔と向き合わなきゃいけねえんだよ。自分の顔が好きだったらVTuberなんかやらんわ。
そうなると必然的に他人の顔写真を見ながら描くことになるが、なんというか……こう……「自分以外のものを描く」って「意味が出る」よな……と思ってしまってこれまた迷う。

家族とか友達の写真ってのもなあ。なんか……純粋に照れ臭いし描いてどうすんの? 送るの? ってなっちゃうよな。あと「誰を選ぶか」ってのも「意味が出る」よな。選ばなかった家族や友人に思いを馳せてしまわないか? ふーん、あいつは描くのに俺は描かないんだ……みたいな……。
あと単純に無いわ。家族や友人の写真。そんなもん撮ってない。君たちの葬式に出す遺影が無かった時は私に声をかけないでください。撮ってないから。

文字が多くなってきたのでこのへんでデッサンを挟んでおきます

と、なるとやはり有名人か。でもなあ。これはこれで「みんなに知られている」からこそ「意味が出る」チョイスになり得るよなあ。選んだ有名人を、先生に見せて、「この人を描きます」「はいいいですよ」っていうプロセスが発生するわけじゃん。そこをこう……なるべく「凪」で済ませたい。意味を感じさせたくない。考えすぎだろうか? でもみんなも迷うと思います。こんなとき……。

例えばさあ! 見目麗しいからってアイドルとか女性声優とかをさあ、セレクトするのもなんかこう……スケベだと思われないだろうかみたいな心配出るじゃん。出ませんか? やるにしても二人目三人目とかみたいにクッション置いて……からにしたいという気持ちが出る。っていうか白状します。同窓のオジサンがなんかアイドルの人描いてるの見て「スゲエ、良く描くな」みたいなことを思ってしまいました。この中で一番愚かなのは誰か? 私でーす。

と、なると残された選択肢は男優さんになるわけだけどはて、誰にしたものか……。
やはり最初に思い浮かぶのは映画俳優だ。最近見た映画と言えば……『ジョン・ウィック:コンセクエンス』『キラーズ・オブ・フラワームーン』『ゴジラ−1.0』あたりだが……じゃあキアヌかディカプリオか神木くんを描くンか? 私が……顔がいいと言うだけで……?

3時間以上あるので疲れそう! という前評判ばかり目立つ映画でしたが、実際は「3時間以上ある上にずっとテンポがいいのでめちゃめちゃ疲れる映画」でした

なんか……なんかそれも違うな……。違うし……。見える、なんか見えるわ! 先生に
「神木くん好きなんですか?」と聞かれて「いや……別に……」と答える未来の私が見えるッッ! じゃあ描くなや! 別にって言うなら!
クソっ! どうしよう! 私は誰を描けばいいんだ!?
そんなとき浮かび上がったのが……。

そう、真田広之だったのだ。

真田広之になぜか毎年遭遇する

真田広之、ちょうどいい。私が人物デッサンを行うにあたってすごくちょうどいい人だ。
まず私は最近の真田広之が結構好きだ。『ウルヴァリン:SAMURAI』で見たときは正直鼻ほじりながら見てたが『モータルコンバット』でスコーピオンを演じてたのを見てガッとハートを掴まれた。

このかっこよさ見てくれよぉ!

「ワシが貴様を斬る」の英字幕が「I will kill you」なの美しすぎる

そんな感じで真田広之のかっこよさに気づいた翌年、今度は『ブレット・トレイン』でまたもや邂逅。

また刀振り回してる!!
こちらでは「ただのジジイかと思ったら実はめちゃめちゃ強いジジイだった」枠として登場。真田広之がただのジジイなわけないだろ!!!
ラスボスとの杖を使った電車内バトルをたっぷり見せてもらえてこれまた良かった。語りたがりでブラッド・ピットをうんざりさせるなんてのもいい役回りだ。またもやお腹いっぱい。

と思ってたらまたまたさらに翌年、『ジョン・ウィック:コンセクエンス』に出てる!

そんでまた日本刀振り回してる!!!
正直口当たりは『ブレット・トレイン』のときとそんなに変わらないけどジョンと旧友だったりドニー・イェンとバトルしたりとかキャラクター的な旨みは強くてまたまた満足。

と言うことでなんか知らんけどそんなつもりないのに毎年見る映画に真田広之が刀持って出てくる!!! みたいな感じだったのでどうしてもある程度好きになってしまったのであった。すごいね 単純接触効果。

描きはじめ。似ねぇ~~。デスノートの親父みたいになっちゃってるよ

それに真田広之はオッサンである。オッサンという生き物は下心の対象という観点からはもっとも遠い生き物であるところもちょうどいい。もちろんそういう嗜好はあるし私だっておじーーー!! ウヒー! ってなるキャラだっているが一般的視点から見てオッサンというのは若い女の子や若い男の子に比べてそういう下心からかなり遠い位置に置かれているのは紛れもない事実だ。だから題材として先生に提案しやすい。気恥ずかしさみたいなものが薄れる! これはすごい助かるぞ。

先生に指導受けながら描き進めていく。ちょっと似てきたかな?

あとオッサン描くの苦手なんだよね。そもそも。
私、「絵の練習するぞ!」って最初に思った時に『アイカツ!』見ながら描いてたからさ。オッサンを描くの避けてきたからさ。
だから漫画とか描く時にオッサンを描かなければならない時「うおー! 描けねえー!」ってなりがちだった。

おっさんが描けないで苦しんでいる例

だから今回真田広之をマジマジと観察して「オッサンってこういう形してるのか……」「こことここが繋がるのか……」と思えたのはめちゃ良かった。

完成形。けっこうがんばったのではないでしょうか

そんなわけで私は真田広之がめちゃちょうど良かったのでした。君たちにもいつか……こういう選択をする時が来る! 誰を選ぼう、意味が出るぞ……! というときが! 人生はポケモンの冒頭では無い。すべての選択に意味が生じるのだ。そんなとき、どう、何を選べばいいのか……。今回の記事がみなさんの選択の支えになれば幸いです。ほんじゃ。

“── 選ぶことはいいことだ 選ばないやつとは敵にも味方にもなれない。”
シンダー・カーラ


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