異常な国である。
まだ6月だというのに気温は35度近くまで上がり、国民的アイドルのラストライブを真似たように台風が大陸を横断ツアーして、それが明けたとなれば梅雨が始まり終われば猛暑がリバイバルする。熱いんだか寒いんだかよくわからない乱暴過ぎる温度調節は、こちらの体力をジワジワと奪っていく。
だが、頭がクラクラする感覚が消えないのは気温のせいだけでなく、ついさっき観た映画が原因らしい。というわけで今回は、観る異常気象こと『ギデンズ・コーの功夫』をご紹介。
ギデンズ・コー、という名前を見て、ピンときた方もおられるかもしれない。邦題はジャッキーチェンの◯◯とかスティーブン・セガールの◯◯ を連想させるが、このギデンズなるお方はアクション俳優ではなく、映画監督である。
代表作に『あの頃、君を追いかけた』や『怪怪怪怪物!』が挙げられるが、中でも有名なのは口コミで評判が広まり、配信やソフト化が難しいという逆境を、2027年4月末までの上映権を再取得することで覆し今なお劇場公開中の『赤い糸 輪廻のひみつ』だろう。以前このムービーナーズでも紹介記事を書かせていただいた、個人的にも忘れられない一作だ。
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して、今回紹介する『ギデンズ・コーの功夫』とは、『赤い糸』のスタッフとキャストが再結集し、破格の予算を投じて製作された超大作映画である。物語は、冴えない高校生のユエンザイと親友のアイーが謎の老人を助けたことから始まる。二人が暮らす街は政治家と繋がりを持つチンピラが幅を利かせており、ユエンザイが密かに想いを寄せるクラスメイトのイージンの店もその標的だった。そんなある日、チンピラに絡まれ殴る蹴るの暴行を受ける二人を救ったのは、あの老人だった。老人の正体は、500年の眠りから目覚めたカンフーの達人、ホアン・ジュンだったのだ!!


ユエンザイとアイーは自分を変えるため、ホアン・ジュンの弟子になることを決意。厳しい修行に耐える中で心身ともにたくましくなっていく二人を見て、イージンも仲間に加わる。三人はカンフーをめきめきと上達させてゆき、「正義」を成すため街の悪漢どもをこらしめてゆく。だが、ホアン・ジュンと同じく500年前の時代に生き、彼に因縁を持つ悪のカンフー使いラン・ジンも現代に目覚め、その魔の手は若き三人の弟子たちに向けられてゆく。


往年のカンフー映画、あるいは武侠映画へのリスペクトを散りばめた、誰もがよく知る話が展開されてゆく。闇に堕ちた男の容赦ない殺戮で観客の目を覚まし、そこから一転してカメラはボンクラな若者たちの日常へ。浮浪者のような出で立ちの老人は、ナメてたけど実は超強いカンフーの達人で、うだつのあがらない高校生は弟子となって奇妙な修行に明け暮れる。そんな中、気になってる女の子もカンフー一派に入り、心の距離も急接近?といういかにもな青春模様が物語を爽やかに彩っている。
だが、本作はギデンズ・コー印であることを忘れてはならない。彼の作品には強烈なブラックユーモアが欠かせないが、本作の悪趣味さは『赤い糸』の比ではない。お色気なんてかわいいものではなく「性欲!」と言わんばかりの目を疑う描写や、映画史における「食べ物を粗末にするシーン」を悪い意味で更新する、文章にするのも憚られるとある展開は、思い出すだけで食欲が失せるほど。また、敵のラン・ジンが使うカンフーは斬撃属性なので、人間が真っ二つになる瞬間を何度も観ることになる。奇しくも別のスクリーンでは『モータルコンバット/ネクストラウンド』が上映中だが、血の量はあちらにも負けず劣らずだろう。


本作、題材ゆえに血みどろになる機会も多いが、それと同じくらい俳優陣が汚れる場面に溢れている。『赤い糸 輪廻のひみつ』ではキュートなバディを演じたクー・チェンドンとワン・ジンの美男美女が、ことあるごとに口から泡を吹き涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになるなど、体を張った名演を披露してくれる。カンフーの師匠役ダイ・リーレンは、日本版なら竹中直人でリメイクするのがピッタリとハマるキャラクターだが、冒頭の不潔な姿はスクリーンから臭いが漂ってきそうだ。
振り返ると、ギデンズ・コーの毒っ気は今回かなり強い。日本版の公式サイトでも「グロテスクな描写と悪ノリトラップは健在」だとか「閲覧注意」などと紹介されているが、確かにこれは注意喚起が必要なレベルであり、人によっては嫌悪感を抱きかねないだろう。もしこれをデートムービーに採用したら、その日の優雅なディナーは気まずいものになることを、この場を借りて保証しよう。


だが、露悪だけで終わらないのもギデンズ・コー映画ならではであり、とくに複数のジャンル間を反復横跳びしながら数多の要素を一本にパッケージングし、世界観やテーマを奥深く探求する手腕はやはり抜きん出た才能がある。カンフーと若者の成長を描く青春劇から、師匠を乗り越える継承のドラマへ。そのフォーマットを遵守しながら、しかし時に大胆なより道をすることで、観客は予想だにしない展開へと放り出されてゆく。
その内容を詳細に語ることはここでは控えるものの、ヒントを提示するとしたら、本作は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のとあるシークエンスに似た展開が訪れる。そこで明かされる驚愕の真実とは、本作をある種の物語論へと導いてゆく。カンフーとは正義を成すための力である、という冒頭からの前提に対し、本作は死角から疑念を投げ込んでくるのだ。


このギミックの開示により、これまで積み上げられたカンフー映画あるあるが全て、何者かが用意した「物語」であることが鮮明になってゆく。それは政府や社会といった大きな仕組みに対するクエスチョンや、耳触りのよいストーリーに耽溺してしまう人間の弱さに対する考察に思えてくるからこそ、後半の展開はとても油断ならない。
だが、ギデンズ・コーは同時に「物語」の光の側面を信じていることも、また事実なのだ。往年の名作に心奪われ、インターネット小説家として多数の物語を紡ぎ、そして今や映画監督として名作怪作を次々と生み出すこの男にとって、カンフー映画とは信ずるに値する正義であり、それを継承することに意義があるのだと、本作は力強い拳を繰り出してくる。とはいえ、その瞬間のあまりにふざけた映像に、私たちは感動と爆笑の渦に巻き込まれる。このカオスこそ、ギデンズ・コーの抗いがたい魅力なのだ。


異常な映画である。
少年少女の愛らしい活劇に見せかけて思わず絶句するような笑いのセンスが散りばめられ、馬鹿馬鹿しい展開の最中に真摯なメッセージが見え隠れする。観客の心地よさを配慮したとは到底思えない展開が続き、観ながら顔をしかめているのに、やはり最後には「面白かった」「何ならちょっと泣いた」が勝ってしまう。やはり、とんでもない映画作家だぜギデンズ・コー。今日はこの名前を覚えて帰ってほしい。


何より、本作もまた権利の複雑な事情があると思われ、後になって配信やソフトで視聴できる環境が整うとは現時点で保証できない。だからこそ、怖いもの見たさでも構わないのでまずは劇場へと足を運び、この驚愕の映画体験に没入していただきたい。何度も繰り返すが、本作を鑑賞する際は、お食事との兼ね合いにはご注意を。
『ギデンズ・コーの功夫』は全国劇場にて上映中。
https://taiwanfilm.net/kungfu/







