もしかしたらこう生きたいのかもしれない『シックス・ストリング・サムライ』

マシーナリーとも子

見終わったけどどうしようになっちゃった

映画を見終わったときは、まず感想をどこかにメモることにしている。それが終わるまで人の感想はなるべく見ない(公開初日に行かなかった場合は別だけどね)。

なぜなら人の感想に引っ張られずに出てきた自分の感想こそがもっとも尊い感想の形であり……例えそれが、的外れな感想であったとしても「その瞬間にそう感じていたことは事実」なので、その記録を残しておくことはとても大事でいいことだと思っているからだ。

仮に後々、ほかの人と話して「あ〜そういうことだったんだ〜 それなら話は違うなあ」と手のひらを返したとしても、そのときにそう思っていたことは大事にしたいと、そう思っているのです。

だから(非常に珍しいことだけど)複数人で映画を見に行ったときは、スクリーンを出たあと「ちょっと感想をメモってくるからあとで合流しよう」と離れていくこともよくある。それくらい私は初見の自分だけの感想を大事にしたいなあと思っているのだ。普段は。

でも今回見た『シックス・ストリング・サムライ』は見終わったあと「え……?」ってなって、感想書く前に人の感想を漁ってしまった。なんか……なんか混乱しちゃって。

だってあらすじこんなだぜ?

意味のわかることがひとつも書かれていない

昼飯前に見終わって、少し感想を漁って、お昼ご飯作って食べて、皿洗って、着替えてお出かけして近所のコメダに入ってこの原稿を書き始めているんだけど、まだ自分なりの感想を出力していない。まだよくわかっていないままだ。ボーッとしている。

あれはなんだったんだろう……。

正直変な映画ではある。そして好きか嫌いかと言ったら間違いなく好きだ。でもじゃあ「カオスwww」みたいな感じの映画なのかというと「そのひと言で切り捨てられるのは嫌だな」という気持ちがあり、出来が悪いのかというと一概にそういうわけでもなく、低予算なりにかなりのがんばりを感じられるが、かといってやはり諸手を挙げて大絶賛するような映画でもない……。結構複雑な思いが渦巻いてるのでこの機会に整理してみようと思います。

バカ映画であることは否定しづらい

本作の主人公はタイトルが指す通り、ギターと刀を携えたバディという男だ。

時間差で気づいたけど「ギター侍」ってことじゃん

非常にどうでもいいけど当初、なかなか名前を呼ばれないので「名無しの男なのか?」と思っていた。中盤くらいからようやく名前を呼ばれ始めるのだが、なにせ「バディ」って名前なうえに「これが俺の名前だ」みたいな前振りも無いので「相棒」くらいの意味で呼ばれてんのかと思ってた。見終わってからあらすじ読み直してあれは名前だったのかと気づいたよ。

んで、サムライ。サムライな。サムライというわけで事あるごとにチャンバラをするわけなんだけど正直あまりキレがある殺陣ではない。

基本的にチャンバラ、殺陣というよりブンブン刀を振り回すと敵が死ぬシーンという印象が強い
日本盤の映像メディアでは「ジェット・リーばりの技と子連れ狼ばりの殺陣」とか煽られてたらしいが公平に見て褒めすぎだろうと思う

というか、チャンバラシーンに限って牧歌的なBGMを掛けたり、無駄にスローモーションをかけて変顔をさせたりしてたりするので、撮ってるほうもある程度ジョークとして撮ってるんじゃないか? と思えてしまう。

このケリで10人くらいのソ連兵をまとめてなぎ倒す。完全にふざけている

じゃあ本作は「ロックミュージシャンが日本刀を振り回してたら変でおもしろいよね!」というアイディア一本で作られたバカ映画なのかというと決してそういうわけではないなと思わせる何かがある。
いや、そういう全体的に気の抜けた雰囲気は間違いなく漂っているのだが、要所要所で思わずハッとするような、ビシッとした演出が妙に決まっているのだ。

アイディアと演出はキマっている

お気に入りなのは序盤で登場する「ピン・バルズ」という3人組の敵。

常にコイントスをしながら移動するという謎の特性を持っているのだが、このコイントスのリズム感の小気味いいこと! ここで妙に引き込まれてしまう。

隠し武器にボウリングのピンを取り出すのはバカバカしくて笑えるけど……。

しかも仕込み刀だ。もしかして天才でいらっしゃる?

このあと3人が返り討ちにあうシーンを直接映さずに、「ボウリングのピンが倒れる音」を鳴らすところなどは抜群にかっこいい。かっこいいというかなんだ……笑えもするし……ちょうどよく「気が利いてる」といったところだろうか?

でも直後に「奴らはいちばんの小物……」みたいなこと言うボスキャラが出てきて台無し。この概念外国にもあるの⁉︎

定期的にバチバチに決まった構図が出てくるし……。

アホみたいな話の最中に定期的にかっこよすぎる構図が出てくるのでビビる

割れたグラスで酒を飲むとか、容赦なくボロボロの服やメガネとか、そういった小道具のディテールもいい感じだ。

作中ずっとバディのメガネが信じられないくらい汚れているのがいい。紙が貴重だとしても服とかで拭けばいいとも思うのだが拭かない

バディとキッドの関係性は、25年前の映画というのを差し引いても、まったく捻りも新鮮味も感じられない。「よくあるやつ」だ。でもだからこそ「これこれ」という味がする。ど定番だからこそポイントの押さえ方に手を抜かず、ひと通り一歩ずつ着実にやっていくぞという誠実さが感じられてこれもまた悪くない。おいしく食べられる。

でも途中まで失語症なのかと思うくらいしゃべらないのにいきなりペラペラになるのはビビった

バディも文句なくかっこいい。ちょっと抜けててユーモアの効いた3枚目なかっこよさ、自然なカッコよさというよりもカッコつけやがって! という感じではあるが、このフニャフニャした映画の中でもカッコつけようとするその気概に対する敬意みたいなものを覚えてしまう。なんにせよいいキャラだ。強いし。

こうなりたいのかもしれねえ

クライマックスまわりの話は微妙に腑に落ちないところもありつつ、納得いくところもありつつ……ちょっと「わざとらしくいい話風に締めやがって!」的なところはあるがこれまた嫌いじゃない。そしてそういう、ちょっといい話風の終わり方ではあるのにラストバトルの決まり手周りがこれは100%ギャグだろ! って見せ方してたり……でもその後の残った下っ端たちのムーブが妙に粋だったり……。

決着、ポカーンとしてしまったので見てみてほしい

発想が安直かつ時系列があべこべではあるが、この、トンチキでギャグやってるはずなのに根底に妙に芯が通っている感じを覚えさせたり、感情導線はアツいみたいな感じは『ニンジャスレイヤー』を思い出させる。忍殺ほどストーリーの捻りはなくて、むしろ王道をやることでパロディと化しているところはあるけど、噛みごたえは似ている。

こうなりたいね

なんというかな……芯がしっかりしているんだよな。全体的にはチャカポコしていて、間抜けでバカバカしいノリが続くんだけど、「自分たちが考えたキャラクターをかっこよく、粋に見せたい」とか「この作中世界のなかでカッコいい、強いということはこういうことなんだ」というのはブレていない。執拗にはさまるユーモアは視聴者に対するサービスだろう。
で、おそらくその制作者たちの「これがカッコいいということだから、ブレずにやるんだよ」という姿勢に対して私は「カッコいい」と思ってしまったのかもしれないな。
そして「こうなりてえな」と思ってしまったからこの映画に妙に感じ入ってしまったのかもしれない……。

そう、多分、感じ入った。私は。最初は「え!? よくわからんけどどうしたらいいの!?」ってなってたって書いたけどこの原稿を書いて気持ちを整理していくにつれてそういうことになった。それは「本当は最初からそうだったんだけど、混乱していてわからなくなっていた感情を描きながら整理していくことで本当の気持ちに気づけた」のかもしれないし、あるいは「なんか記事としてキレイに収まってたほうがいいしそういうことにしておくか」というような引力に自分の気持ちが引っ張られっていったのかもしれない。この映画の終わり方がいい話風になっていったのと同じふうに。いまとなってはどっちなのか判然とせぬ。ただ、いま現在の気持ちとしてはやっぱり「感じ入ったなあ……」と思っています。不思議なもんだ。

というわけで、感想というものは生き物でどんどん変わっていくものなので、記録しておこうね! という感じで今回は締めさせていただきます。ほんじゃ。

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