職業:人魚って、履歴書に書ける!?『マーピープル “人魚になる”という仕事』

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 人に夢を与える職業、というものがあると思う。私たちが大好きな映画やアニメに携わる人はみんなそうだと言えますし、歌や踊りなどのパフォーマンスを生業にしている人、サーカスや遊園地のキャストの方々などは、訪れたお客様のその一日を楽しさで彩ることに心血を注いでおられます。職業に貴賤なしと言いますが、目の前の誰かを直接的に笑顔にしてあげられるお仕事への憧れを、普段会社員をやっているとことさらに感じてしまうこともあるのです。

 ところで、この世には「人魚というお仕事」が存在することを、画面の前の皆様はご存知でしょうか。種族や仮想現実を生きるアバターなどではなく、職業としての人魚。人間が本当に魚の尾を着けてプールや水槽を泳ぎ、それで報酬を得るプロフェッショナルが、世界には実在する。今回はそんな職業:人魚な人たちの裏側を追ったドキュメンタリー『マーピープル “人魚になる”という仕事』をご紹介。

 冒頭、大勢の子どもたちが見守る巨大な水槽は、照明によってオーシャンブルーの海を思わせるほど蒼く、そこに無数の魚たちが泳いでいます。そこに突如、見目麗しい女性の人魚、たくましいボディの男性の人魚が現れて、水槽の中から手を振って、投げキッス。子どもたちはその幻想的な風景に見惚れ、大人たちはスマートフォンを掲げてシャッターチャンスを狙います。本物の魚と人魚が織りなす水槽の風景は、まるで魔法がかかったように幻想的。こんなショーを観たらその日は人魚の話題でもちきりだろうと、そう思わせてくれる最高のオープニング。

 しかしカットが変われば、先程まで笑顔を見せていた人魚たち……を演じていた人間が、苦悶の表情を浮かべながらぐったりしている様子が映されます。彼ら彼女たちは口々に言います。「今日の現場、塩素強くない!?!?」と。皆さんも小中学校の水泳の授業でお世話になったであろう「目を洗うアレ」の前で過剰なくらい顔面を濡らす元人魚たちを観て、これはただ事じゃあないぞと姿勢を正す。これが職業:人魚の人たちの、過酷な日常なのです。

 人魚を生業にする。あまり人生の選択肢に上がってこないこの職業を選び取った女性たちの物語は、フロリダから始まりました。1947年に立ち上げられた「ウィーキワチー・スプリングス・ステート・パーク」は人魚による遊泳ショーを目玉にすべく、パフォーマーとなる女性の採用を始めます。それに集った女性たちによる人魚のショーは見事に人気を博し、この施設を代表する催しとして現代でも大勢の来場者を魅了しています。

 ドキュメンタリーでは当時「人魚」として水槽という名のステージを泳ぎ続けたレジェンドたちが数多く登場します。その頃、女性たちは成長すれば「妻」へ「母」へと移行するのが一般的でした。そこに突然舞い降りた「人魚」という選択肢。女性たちはウィーキワチーの名物スターとして観客に夢を与え、施設の経営を支えてきました。職業としての人魚が誕生した瞬間です。

 しかしそれは、苦難の歴史でもありました。魚たちの生存環境に準じるため水槽の水はひどく冷たく、人魚たちは常に低体温症とパニックによる身体の硬直のリスクが伴います。また、衛生環境が整わない内は耳や鼻の感染症に悩まされ、空気の供給を担う設備の故障はそのまま「死」に直結します。そうした現実を前に、人魚たちは一人、また一人と、観客の前で見せる笑顔とは正反対の表情を浮かべ、夢のショーから去っていくことになりました。

 それでもなお、人魚に夢を託す人は後を絶ちません。そんな夢を叶えるための大前提、人魚になるための大事な仕事道具こそ、装着する「尾」です。これがなければ、観客は目の前の泳いでいる物体を人魚とは見なしません。人魚が海を舞う幻想的な物語を信じさせる魔法のアイテムこそ、「尾」なのです。

 そんな「尾」の製作を担う大手3社が存在し、ドキュメンタリーのカメラはその中の1社である「マ-テイラー」と、それを立ち上げたクリエイター、エリック・ドゥシャームに迫ります。彼もまた幼少期に人魚に魅入られ、先程のウィーキワチーに通い詰めた結果、未成年でありながらショーへの出演が認められた筋金入りの人魚ファン。その情熱はやがて、全世界の人魚たちから信頼される「尾」メーカーとしての地位を確立します。

 それだけに収まらず、エリックは巨大な家具店の跡地を買い上げ、そこに水槽を設置して人魚ショーを行うための会場を自ら設立します。そこでパフォーマンスをする人魚たちも自らがオーディションし、選ばれたメンバーを鍛え、お客さんを呼ぶ。母親や恋人の助けを借りながらも、巨額な投資を賭けた大博打に挑む若きエリック。人魚というものがいかに人の人生を変えうるものであるかを、強く際立たせます。

 場面は変わり、今度はプールでのオーディション会場。常設のステージではなくサーカスのようにいろんなロケーションでパフォーマンスを行う「サーカス・サイレン・ポッド」のグループは、人魚たちが憧れるエリート集団。創設者のモルガナは明るい人物ですが、集まった入団希望者の演技を吟味する目は厳しい。それもそのはず、尾を装着し脚部の自由を制限されたまま、パフォーマンスに耐えられるだけの肺活量や体力を持ち、観客に不安を与えないよう常に優雅に笑顔であり続けない限り、人魚は務まりません。最悪、溺死をする危険性だって皆無ではないのですから。

 そんな一座でのパフォーマンスを夢見る女性スパークルズは、4年前にもモルガナの前でパフォーマンスをしたものの、「まだ早い」として合格を得られなかった人物。それでも諦めずショックを乗り越え、再び憧れの舞台への切符を目指して挑戦します。見事その狭き門を突破したスパークルズは、憧れのモルガナからの称賛も得て絶好調。そんな折、彼女に舞い込んだオファーとは、ラスベガスでの人魚ショー。地元のプールとは全く異なる環境、憧れの先輩方に囲まれての初めての大舞台。スパークルズは成功を収めることが出来るのか!?ぜひその目でお確かめください。

 本作は、人魚を取り巻く「今」にも着目していきます。人魚といえばディズニー・アニメの影響が強いのか、美しい白人の少女というイメージが根強く、その本家が2023年の実写版で黒人のアリエル像を提示したものの、残念ながら国内外でも批判を浴びたことは記憶に新しいでしょう。しかし現実を生きる人魚たちは、そうした固定概念から抜け出しつつあるようです。

 世界中の人魚たちが集うイベントには、多種多様な人物が見受けられます。国籍や肌の色がバラバラなのはもちろん、男性の人魚だって珍しくありません。その大きな身体が特徴の「ファット・マーメイド協会」のメンバーは、力強い連帯の下に人魚の多様性を訴え、彼女たちのサイズに合った「尾」の製作に理解を示す先輩人魚とは、肌の色も出自も超えて通じ合います。

 また、ノンバイナリーの人魚として活動するブリクスナミは、人魚界の多様性を後押しするスターとしてコミュニティの中でも有名人であり、両親にも理解されなかった自身の苦しみを「人魚」として超越する、力強い姿を披露します。日頃は周囲の無理解と偏見に悩まされる彼ら彼女たちは、一度「尾」を着けることでその枷を脱し、海にいる間は無限の自由を得られるのです。

 人魚であり続けることは、決して楽な道ではありません。商売道具の「尾」は少なくとも1つ数十万もする代物で、専業で人魚を続けられる人はほんのわずか。少ないチャンスを手繰り寄せたとしても、水中でのパフォーマンスは常に危険が伴い、失敗すれば自身の命が脅かされる危険性もあります。

 それでもなお、人魚は人々を魅了し、笑顔にする神秘的な力があります。子どもたちの目を輝かせるその佇まいは、泳ぎは、観る者を現実から引き離す驚異的なマジックが宿ります。それを自分の演技が引き出せるとしたら……。人魚を職業とする人々の心にあるのは、その憧れを自分自身で表現したいという向上心であり、誰かを笑顔にしたいという純粋な気持ちなのです。

 また、尾を装着した瞬間から「人魚」とは、その人の強固なアイデンティティとなるのです。人間社会のしがらみに囚われない、自由な存在。人魚として海へ飛び込む時、それは本人を今いる世界から解放し、無限の勇気と生きる力を与えてくれる、心の支えとも呼べるものなのです。それを叶える連帯、支え合うコミュニティがあるということは、「趣味」をきっかけにSNSを介して繋がり合う、現代のナードな私たちにも、無関係ではないかもしれません。

『マーピープル “人魚になる”という仕事』はNetflixにて独占配信中。
https://www.netflix.com/jp/title/81439780

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