『カラオケ行こ!』マンガの実写化作品に解釈バトルに負けて足腰が立たなくなった!

マシーナリーとも子

綾野剛……いいじゃん!!!!

2024年一発目の映画は『カラオケ行こ!』にしました。ちょうど始まってたので……。

今日は久々に新作映画について書くので、まずネタバレがなるべく無い「印象」の話をしまして、そのあとネタバレありで「畜生!!!!」ってなったことについて書きます。

ただ、間違いなく最初に言っておきたいことは「おもしろかった」「素晴らしい映像化だった」と言うことです。ちょっと想定してたよりかなり楽しめた。

簡単に紹介すると原作は『女の園の星』で知られる和山やま氏の同名のコミック。
中学校の合唱部部長・岡聡実はヤクザの成田狂児に「カラオケ行こ!」と拉致され、歌のレッスンを請われる……というお話。
陰気そうで意外と毒を吐く聡実と、気だるげだけど妙な優しさとユーモアがある狂児の歳の差、立場の差といった距離感から醸し出されるもどかしい友情……友情……? いや……? どう……なんだ!? と言うところが胸を掻き回されるコメディです。おもしれえんだこれが。

で、原作の主人公二人のビジュアルがこうなんですよ。

そんで映画がこう。

正直、初見の印象そんなに〜〜だったんですよね。
うーん綾野剛かあ……みたいな。
なんか悪くないけど、最終的に「これはこれで」ってなるんだろうけど……みたいな。印象違うく無いですか? 綾野剛。
そんなわけで映画自体にもあーんまり期待しないで見にいったんですけど。実写化向きな作品ではあるからそこそこおもしろいものは見られるでしょ! みたいな態度で……。

いや、でも違ったね。すごーく良かったです。まず、話を置いといて主演の二人のキャスティングについてもかなり良かった。

動いてるの見てもやっぱり綾野剛は「うーん…なんかしっくり来ないな」と言う印象だったんだけど、カラオケ行って聡実に絡み始めると、彼の気怠げな感じがもう満点なんですね。ねっとりとした話し口が「想定していた狂児ではなかったけどこれは私が思っていた以上に狂児かもしれないぞ」みたいな感じで脳がチューニングしてくれる……カラオケ風に言えばキーが合わさるような感覚があり、そこからはもう全く違和感なく見られました。

聡実のリアル子供ならではのガキらしさも素晴らしく……原作だと結構大人びて見えるもんね……そのボソッとした話し方から出てくる「和山やま作品のキャラっぽさ」が絶妙でこちらもすぐに気に入りました。
そしてこの二人がわいのわいのするのがもう全体的にたまらなくて……鑑賞中の大半はほとんど「強欲の壺」みたいな表情を強いられました。本当にやりとりがいじらしい!

映画のここのシーンがマジで「かわいっっっっ!!!」としか言いようがなくてビビりました

特にヤクザに囲まれ、聡実が狂児の腕にしがみつくシーンが……正直原作の時は「ワハハ」って笑ってたくらいで読み流してたシーンなんだけど映画だとここがあまりにも可愛すぎて「ウワーッ!!!!」ってなってしまいました。も……萌え……。

ていうか上のシーンもそうなんだけど、この映画、とにかく「原作からの発展」が上手く、見終えた時は感心、やがて「私は……全然原作を“読めて”なかったッッ!!!」と言う敗北感に襲われ、「俺は解釈バトルで完敗したのだ」と言う気持ちに包まれて悔しさで胸を掻きむしった。なんだこの映画。
原作が好きすぎるのか映像化するにあたって必要になった改変があまりにいい感じにハマったのか……。

とにかく上手く映像化されていて、原作からアレンジされてる要素もかなり強めなのにそれが余計に感じず、むしろ原作でやりたかったことの補強としてものすごく巧みに機能しているのです。ここからはネタバレありでその辺の話もしたいと思う。


解釈バトルは私の負けなので殺してください

ていうかさあ! あの!
映画見にいく時にさ、原作をあえて予習しないで行ったんですよ。数年前に読んだ、おもしろかった、って状態で見に行ったんですよ。

そしたら結構「あれ……いや、大筋はこんな感じだったことは覚えてるけど……こんな話だったっけ??」ってすっごくなったのよ!

でさ、映画見てさ、おもしろいじゃん。だからKindleで原作見直してどんなんだったっけ? って確認しようとするじゃん。

全然違うじゃん!!! おい!!!!
アレンジすげえなこんな弄ってたのかよ!!!

このシーンに至るまでめちゃめちゃ盛ってたじゃん!!! しかも盛り部分全部楽しいでやんの

まず聡実くんの学校の描写がめちゃめちゃ補強されてるし!
原作では薄味のいい後輩だった和田くんがライバルみたいな関係になってるし、その間を取り持つ副部長もいいキャラになってるし(かわいい)。
なんか学校の描写っていうか生徒キャラ全般のセリフっていうんですか、会話の空気感とか小ネタの差し込み方が『女の園の星』みたいな質感あったよね!? 女子部員の姦しい感じおもしろすぎたわ。

なんかこういう感じ……いやここまでではないか……

て言うか聡実くんが映画見る部の幽霊部員ってなに!? 本当に原作に1ミリも無い要素なんだけど、でもこれが聡実くんのキャラクター性……一見根暗なオタク風の男の子に見えるんだけど、妙に強かで舌も回るし独自の交友関係もしっかりとある一筋縄ではいかない感じを出すことに成功しているし、和田との不和の一幕も発生するし、原作でもあったコカイン星人に襲われる展開にも自然につながって……。ここだけでもストーリーにバフをかけることと、滑らかに話を回すための潤滑油を差すことの両方に成功してるんですよ。なんだこれは。

っていうかマジで言いたいんだけど原作読み直したらこんなに『紅』の話じゃ無いじゃん!!!

原作読み直したらそこまで『紅』自体にはフィーチャーしてなかった……。いや……「これまでそう読んでた私」が浅かったのか!?

この映画、「どうやったらあのマンガを映画にできるだろうか」と考えた結果「そうか! 『紅』の映画にしちゃえばいいんだ!」って舵切ったんですよ。それがまず鋭いなと思ったし……悔しくなった。
私、『カラオケ行こ!』を『紅』の歌詞通りの話だな、なんて思えたことが一度もなかったよ。
「あー、いるよね。カラオケで『紅』歌うやつ」
くらいにしか思えてなかった。

浅かった、浅かったよ。
聡実にとって狂児との交流は『紅』だったんです。
紅に染まったこの俺を、慰めるやつはもういないんですよ。
しかもそれを映像という媒体の長所も用いるし、なんなら原作になかった要素を足してまで奴らは我々の脳に刻み込んでくるわけです。

マンガというのはあくまで視覚のみの媒体です。
「歌を歌っている」というのを表現するのに歌詞を書いたり、音符を入れたり、効果線で音の流れを表現したりフォントを変えることで「歌を歌っている」ということは表現できます。でも、それを読んで脳に「その歌そのもの」が流れるかどうかは読み手次第です。
正直私はマンガを読んで、狂児が歌っている描写を読んでも「ああ、狂児が紅を歌っているなあ。あはは」と思うだけで頭の中で自ら『紅』を脳内再生するなんてことはしませんでした。
でも映画は音を流すことができます。だから劇中では耳にタコが残るほど『紅』を流してきやがります。

しかもそれだけに飽き足らず、映画独自の演出として「紅の冒頭の英語部分を和訳する」という強火アクションまでやってきやがります。
ここ、凄すぎる。凄すぎるし、あいつらは「ここが肝なんですよ。この作品の大トロは詰まるところここなんです」と我々に目くばせしてやがるんです!
だから鑑賞者がどんなにアホでも、私のようなボケーっとしたやつだったとしても! その描写を挟むことで強烈に「『カラオケ行こ!』とはつまるところ『紅』なのである」と刷り込むことに成功しているのです。なんだこいつら!?

そして歌を流せるからこそ、聡実の『紅』がたまらなく沁みる。狂児への鎮魂歌として我々の胸にこれまで以上に浸透してくるのです。恐ろしい映画だった。映画という媒体を使った強火の解釈パンチを喰らった。

そしてそれだけでも「いい映画だったなー!」と思えるのにエンドロールが驚きの『紅』合唱バージョン。こんなパーフェクトな主題歌があるだろうか? 正直聡実の『紅』でも泣くまではいかなかったんですが合唱が始まった途端完全に負けてしまいました。
スクリーンが明るくなった時、後ろの席のカップルが溢しました。
「不覚にも泣けた」と。
実際「不覚にも」という評が正しいのかもしれない。こんなに心を動かされるなんて思っても見なかった。
今これをファミレスで書いている間にも私の頭の中には『紅』が鳴り響いています。とりあえず皆さんも……『カラオケ行こ!』に行こ!

っていうかふたりの名前が「聡実」と「狂児」で対になってることすら映画で言われるまで気づかなかったァ~~~!!! あぁ~~~!!! 悔しいです!!!!! 負け!!! 私の負け!!!!

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