あの日確かに俺だった男との再会 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

マシーナリーとも子

おい!!!! マリ泣きした

こっちはあくまで「おもしれーマリオの映画」を見に来たつもりで映画館に来たのにいざ劇場に座ってみたら叩きつけられたのは「これはお前らの映画です」だったのでマリ泣きしてしまいました……。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』、どうせただの楽しい映画に過ぎないだろ! おもしろいに決まっている、とたかを括っていたのですが予想以上に心に刺さる映画でござった。

マリオブラザーズの映画なのにマリオカート要素もあるなんてサービスがすごいなあ程度で見に行ったらとんだ食わせ者でした

「テレビゲーム」という媒体

テレビゲームを遊ぶという行為が映画鑑賞や読書と違うところは何か? というとやはり「物語を体験できる」ということに尽きると思う。

いくら物語がすばらしくても手を動かして体験しなければゲームを味わうことはできない

アクションゲームにしろ格ゲーにしろRPGにしろノベルゲームにしろ、ただ提示される物語を摂取するだけでなく「この俺様が操作をすることでこの世界を味わっているんだ」というのがゲームが他の媒体に優れているポイントと言えるでしょう。だから他人がプレイしてるゲームを眺めるだけでもおもしろく、ゲーム実況なんて文化も生まれたんだと私は思う。

だからあらゆるゲームには単に「物語がおもしろかったなあ」というだけでなく、「あの敵が強くて難しかった」とか「あのアクションの操作が難しくてなかなか会得できなかった」とか「なんかよくわからんうちにガチャガチャしてたら死んだ」みたいなプレイヤーごとの千差万別の体験が生まれる。

わざとそれっぽい言い方をすればナラティブなんだよな。”ナラティブ”ってのは「お前が主人公の物語!」って意味の言葉で、「用意された物語を読んでいるぜ」って意味の”ストーリー”と使い分けられて使われる言葉だ。

もともとは文学的な用語だったみたいだけど、ここ10年くらいはゲームの話をするときに使うのが流行った。

「うーんこのゲームはナラティブな体験ができるのですごいので遊んでください」

みたいな感じだ。でもそもそもゲームをするってこと自体だいたいナラティブではあるだろって気もする。スーパーマリオブラザーズを起動して3秒でクリボーに当たって死ぬ、というシチュエーションは間違いなくストーリーではなくてナラティブだ。
ピーチ姫から「ケーキをつくってまってます」ってお手紙が届くのがストーリーで、
「マリオのケツワープすげえ!!!」ってなるのがナラティブです。ホントか?

で、私がいま何が言いたいかというと別にナラティブって言葉はさあ! みたいな話をしたいわけじゃなくて
「マリオの主役はマリオじゃなくてお前だろ」
ってことなんだよ。

マリオは俺でした

つまりだ、「スーパーマリオ」においてマリオの役割は冒険してクッパを倒してピーチ姫を助けることだよな?
その道中、マリオはノコノコを踏んづけたりキノコを食ってデカくなったりハンマーブロスのハンマーを見切れなくて死んだり太陽が背景じゃなくて敵だったので死んだりする。

下半身を輝かせることもある

それは本当にマリオがやっていることなのでしょうか? ちげえよなあ!? 
お前だよお前! そして私だよ私! マリオは俺なんだよォーッ! 俺も行くよォーッ!

マリオが死んだら私たちの責任! そしてマリオがピーチ姫を救えたら俺たちの手柄なんだよ! それが『スーパーマリオ』という「ゲーム」の本当の姿だ。そして世の中の大体のゲームはそうだ。

主人公がめちゃめちゃ人格を確立していてそいつがすげー頑張って世界を救ったように見えるゲームも多いが、でもそいつだって私たちがパッドで「右に歩けや!」とか操作してやらないと世界を救えなかったはずだ。世界を救ったのは我々です。

マリオはマリオの意志でなく我々の意志で動いている。我々の強い意志によって壁の中に埋まることすらあるのがマリオという男だ

で、話をようやく戻して『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』だが、この映画がもう凄まじくこのことに自覚的なんだよな。

マリオの長所を「ジャンプ力があるし亀を踏み殺せるしキノコを食えばデカくなる」にしないことをこの映画は選んだ。エッ! それじゃあマリオの長所ってなんなんですか?

みんな、忘れたか? マリオとキノコ王国を救った日のことをよ。マリオの長所といえば何度やられても諦めないその「ガッツ」にあるに決まってるじゃねえか!

そう、本作のマリオはとにかく諦めない。初心屋用のアスレチックコースに24時間ぶっ通しで殺され続けても、ドンキーコングにボコボコにされてもとにかく諦めない。何度でも甦る。それはなんでか? 
マリオは……そして我々プレイヤーは何度やられても「コンティニュー」してやり返すガッツがあるからだッッ! 俺たちにゲームオーバーは無ぇ! 例え残機がなくなってタイトル画面に戻されてもまたステージ1からやり直すだけだぜ!

マリオはやられても決して諦めないことを我々は知っている! なぜならマリオが諦めなかったのは我々が諦めなかったからである

本作のキャラはクッパもドンキーも、さらにはピーチ姫ですらマリオより強い! だが最後に勝つのはマリオだ。マリオは何度でもコンティニューするガッツのある男だからだ! そしてその諦めないで挑み続けるマリオを見て我々は涙する。「あのマリオは俺だ」「この映画は俺の映画だったんだ」と。

諦めないで挑み続けるマリオの姿は、かつて全然ゲームをクリアできなくて時には半べそをかきながらコントローラーを投げんばかりにイラつくことすらあった昔日の我々の情景だ。この映画はマリオだけじゃないッッッ! 俺たちを映画にしてやがる!!!! なんちゅうものを食わせるんやイルミネーションはん!

そうか俺たちは「マリオが好き」じゃなかったのか。「俺はマリオ」だったんだ。それが『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』です。

輝けるものたちへ

このメッセージを強烈に味合わせるために、ダメ押しとしてこの映画は本編が始まる直前に「これはマリオのゲームの宣伝ですよ!」という体で老若男女がSwitchでマリオを遊びまくる様子を映す。その宣伝映像の中でとにかくマリオは死ぬ! 死ぬ! いやそんなに死なないけど割とミスるところを見せてくる。そしてミスったりクリアした時の「プレイヤーの反応」をこれでもかと見せてくるのだ。

めちゃめちゃマリオを遊ぶ人類たち

そして極め付けに最後にマリオの決め台詞
「It’ me MARIO」をもじり、「It’ YOU MARIO」と叩きつけてくるのだ。俺がマリオ!?

正直最初にこの宣伝を見た時は「私がマリオ!? まあ確かに…マリオのゲームってマリオになれるゲームだよなマリオを操作するんだし」としか思ってなかったが映画を見ていると「俺はマリオだ!!!!!」という強烈な自覚が湧いてくる。いや、映画を観てマリオになったのではない。我々ははじめてマリオを遊んだあの日からずっとマリオだったんだ。俺たちがマリオ、これがマリオの本質。そしてその本質に真摯に付き合ってくれた『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』……アンタ傑作だよ。マンマミーヤ。

俺がマリオだ!!!

中山美穂のグッズが当たった!

クッパが悪さと愛嬌を両立してるのもうれしかったです

まあでもマリオやったことない人でも「楽しい〜!!!」ってなれる単純に超楽しい映画でしたよ。マリオ遊んだことあるから
「そのネタ拾うんだ!?」
とか
「いまの効果音さあ!」
とかなれるけど、ぜんぜんそういうの抜きでおもしろい。日本上映前に「批評家には原作未プレイにはわかんないことが多くてイマイチって言われてるぞ!」って話題になってたけど別に全然原作知らなくても見られると思う。マーベル映画とかトランスフォーマー程度には大丈夫なつくりになってると思うんだけどな。

そんなわけなのでマリオ遊んだことないって人もぜひ見に行ってください。
個人的にはマリオがはじめて実戦で戦う相手がドンキーコングというところにグッと来ました。
ヒービゴー←マリオのヒアウィゴーってこう聞こえる

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