映画なら三幕構成をやれ!!『ぼっち・ざ・ろっく!Re:』

マシーナリーとも子

天才だって信じてた

こんにちは。マシーナリーとも子です。先日劇場総集編『ぼっち・ざ・ろっく!Re:』を見ました。なんだかんだで公開日に。

これがなかなかおもしろい気持ちになったのでちょっと感想を書いてみようと思ったんスよ。

この映画、総集編の前編となっています。新規作画もオープニングシークエンスのみですし、編集についても、本編をものすごい入れ替え方して変則的な構成にしているとか、「新規のモノローグが加わって新たな視点が!」みたいなこともない、ほぼテレビアニメ本編を放送順に切り貼りした素直な総集編となっています。

しかも本編が全12話しかないところを、前編だけで8話も消化するかたちになってるのでエピソードによってはかなり割り切った端折り方をしてます。セリフほとんどカットしてダイジェストで流して挿入歌流して誤魔化すみたいなところ結構ある。

サイバーパンク2077みたいになってるシーン↑とか完全カットされてたしお家訪問回は影も形もなかった

ただなんというか……総集編を見た時にたまに去来する「まあおさらいだよね」とか「ざっくりしすぎてて心に残るものがないな」みたいな気持ちが全然なくて、むしろ「うーんいい物語を見たな」って気持ちになったんですよ不思議と。

小さな自信溢れ落ちて割れた

まあただ単に映画館で見たからこその満足感みたいなのは正直ある!
音響の良さで、むしろ「トチってるときのライブ」のヤバさが如実に伝わって胸にヒヤヒヤしたものが訪れる的な体験はあるし。

みんないつもと全然違うシーンが音響がいいせいで冷や汗出る

あともっと単純にでかい画面だからいいみたいなのもある。
喜多ちゃんと初めて会話するあたりの作画とか映画館でものすごくいい絵だな! ってなったんですよ。

なんかここの作画が映画館でめちゃめちゃよく見えたけど帰って見返したらとくべつほかのシーンよりすごいということはなかったのですごく不思議な気持ちになった

線の抜け感とかすごく気持ちいいなってなって。映画館で見た時はオープニング以外新規作画がないって知らなかったんで、ここ描き直したのかな? って勘違いしちゃったくらい。

あと大画面廣井きくりがヤバい。これまで「廣井きくり大好きだけど、それはあくまでフィクションのキャラクターとして完成度の高さがすごいからであって、女の子としては虹夏ちゃんのほうが好きだよ」とか抜かしてたんですけど映画見たら大好きになっちゃいそうすぎてヤバかった。いや元々大好きではあったんだけど……おいドアップで甘ったるい声を聴かせないでくれ! やめろ! 恋する。

あと虹夏ちゃんの「ぼっちちゃぁ~ん」が高密度で聞けてよかった

やっぱ既存の絵でもでかい画面で見るだけでもすごくいいなとは思ってしまうよ。新訳Zガンダム見た時も、意外と旧作画でも画面がでかいってだけで結構満足感得られるなって思ったし。

秒速340mを超えていけ

んでなんでそんな、割とふつうめの総集編映画に結構グッと来てしまったのかというと、本作が「後藤ひとりがヒーローになる映画」に絞った編集・構成を意識してるからじゃあないかなあと思うんですね。

この映画、かなりキレーな三幕構成になってるんだよね。

三幕構成ってのはハリウッドで生まれたプロットの概念で、まあ日本でいうところの「起承転結」にも近いっちゃ近いんだけどもうちょっと細かく、具体的なものになっている。

人によって語り口とか細かい構成とかは結構言ってることが違うんだけど、私が好きなのは下図のような考え方かな。

ラリー・ブルックスの唱えるスタイルを図にしてみました。本当は二幕と三幕にピンチポイントという概念もあり、本作に当てはめることもできるけどめんどっちいから省略します

要するに世の中の大ウケした映画や小説はだいたいこういう構造になっているので、この構造を守って物語を作れば大体おもしろくなるであろう……って考え方だね。

今回の映画はこの構造にかなり当てはめることができると思う。

まず最序盤、後藤ひとりという女の子が何者なのかが描写される。コミュ障で友達がおらず、人から尊敬を得るための手段として(イカれた努力量で)ギターがうまくなるが、それだけでは友達もできずバンドもできず、始まったばかりの高校生活もうまくいかないことが描かれる。
「設定」と葛藤、願いがここでざっくり出てくるわけだ。この段階のぼっちちゃんは何も縋ることができずもがき続ける「孤児」だ。周りの目線を気にしてはいるが、どうすればいいか何もわかっていない。

流れを変える転換点のひとつである「プロットポイント1」はバンドにぼっちちゃんを誘う虹夏ちゃんだろう。ここでフラフラ生きていたぼっちちゃんは運命と立ち向かうことを余儀なくされる。

そしてSTARRYでの初ライブ。ぼっちちゃんはまだ運命に翻弄され、「反応」するだけの「放浪者」に過ぎない。バンドメンバーを得るという願いの一部は叶えられたものの、自分のアイデンティティであったギター技術はバンドという枠組みのなかでは役に立てられず、コミュ障も克服できずにダンボールの中に収まる。
バイトをしたり喜多ちゃんを勧誘したりと自分なりにがんばり、成長はしていくものの、まだ決定的な何かを得るまでには至らない。

物語の大きな転換点、「流れ変わったな」ポイントである「ミッドポイント」はSTARRYでのオーディション。それまでバンド活動を通してチヤホヤされたい、人気者になりたいとだけ思っていたぼっちちゃんは認識を改め、結束バンドの4人で人気者になりたいと新たな願いを自覚し、「戦士」へと成長する。

「戦士」へと変わったぼっちちゃんは一転「攻撃」に移る。相変わらずコミュ障ではあり、チケットを飼い犬に買わせようと思ったりしてしまうところはある。だがこれではダメだと駅前でチラシを配ろうと試み、廣井きくりと出会い、彼女との路上ライブで観客は敵ではないという天啓を、最大の武器を手に入れ、チケットも捌くことに成功する。

そして「プロットポイント2」、STARRYのライブでもたつく仲間たちに対し、願いと武器を手に入れていたぼっちちゃんはヒーローに……ギターヒーローとなってライブを「解決」する。英雄として我々の前に姿を現し、ぼっち・ざ・ろっく!を体現するのだった……。

革命寸前の未来を睨んだ

なんかこうやって書くとあらすじ書いただけじゃねえか! って感じあるけど総集編映画だから許されるやり方な気もするな。あしからず……。

改めて見つめ直すと、例えば虹夏ちゃん喜多ちゃんがぼっちちゃん宅の家に来る回のんかはダイジェストどころかまるまるカットされてたりして、本当に「ギターヒーロー・後藤ひとりのための英雄譚」になってるんだよね。よくできとる。

だからほんと、結構な「巧さ」を感じるというか……ほんとほぼ切り貼りオンリーと言っていいいやり方で映画として満足感を得られる構成にしたのよくやったなア! と思ってしまう。

一本にまとまっているからこそあの要素が、あそこでの感情のうごきがここに繋がってるんだなーって思いやすくなってるし、とはいえまあ総集編っちゃあ総集編なので「超必見!!! 絶対見るべし!!!!」と強く言うほどではないんだけど、この手際はかなりの美しさを感じた。うーんやるなあ……。

しかしアニメ本編があと4話ぶんしか残ってないけど後編どうするんでしょうか。ふつうにTVアニメ通り文化祭で終わるのか(ギター購入もあるけど)。それとも2期匂わせがあるのか……。

8月の公開まで原作でも読みながら楽しみに待つと致しましょうか。
だからさあ芳文社さんよ! Kindle版『ぼっち・ざ・ろっく!』の解像度低くて読みづらいから改善してくれ! 頼む! お願いします!

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