仕事の関係で、自転車レースのボランティアに参加したことがある。その内容は、車道と歩道の間に立ち、観客がテープをまたいで車道に出て自転車と接触することがないよう見張る、というものだった。
その立ち位置の関係上、自分は誰よりも選手に近かった存在と言える。まず始めに観客に向けて安全を放送で促す警備車両、次に救急医療と自転車の搬入を兼ねた大型車両が通り、その後ろにレースの運営サイドの自転車が来て、その後方にお待ちかねのレース走者の自転車が通る仕組みになっている。先導車両は「もう間もなく選手が通りますよ~応援してくださいね~」という牧歌的なテンションで、こちらも立ちっぱなしの休日労働に辟易としていたが、選手が通りすぎる瞬間だけは緊張感が段違いだった。
1秒でも走らんとするレーサーが、力一杯ペダルを回す。その速度は図り知れず、自転車が自分の目の前を通る瞬間はまさしく「風を切る」ようだったし、歩道でシャッターチャンスを待ちかねてスマホを構えていた子供が「これで終わり?」と思わず口にしたように、本当に一瞬の出来事だったのだ。向こうへと走り去っていくレーサーの残光と、頬を切るような風の感触が記憶に刻まれ、あの瞬間だけ確かに私の心臓は高鳴っていた。今でも忘れられない、速さを競うとはどういうことかを身体で学んだ、貴重な経験だった。
さて、今回私は、読者の皆様にお願いをしなければならない。例えば映画ファンであれば『マッドマックス:フュリオサ』に対して「DVDか配信になったら観るか」などという判断を下すことはあり得ないだろうが、それと同じくらいの意識を『劇場版 ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』にも向けて欲しい、というお願いを。
というのも、本作は『ウマ娘』というコンテンツのメディアミックスの一つであると同時に優れた劇場アニメーション作品でありながら、後で気になって自宅のTVやスマホの画面で観た際に、その魅力が半減どころか、大部分が損なわれてしまうのではないか、という危惧を抱いたからだ。この世のほとんどの映画がそうであるとはいえ、この作品を劇場で観られるチャンスを逃すのは、本当に惜しい。
なので、『ウマ娘』を知らずとも、ぜひとも週末の鑑賞候補に入れて欲しい。その思いで、この文章を書いている。
もちろん、一見さんで本作を楽しめるのか?とお思いの方もおられるだろうから、その点を解きほぐすために私の馬(ウマ)遍歴の話をさせてほしい。
私は、乗馬・競馬の観戦・馬券の購入は未経験、『ウマ娘』については先だって放送されたTVアニメシリーズやゲームアプリには一切触れたことがなく、フォロワーの紹介で鑑賞した劇場公開用に再編集された配信アニメ『ROAD TO THE TOP』が初のウマ娘体験となった。私にとって馬とは食べるものであり、応援や感情移入の対象ではなかったのだが、そこに風穴を開けたのが2本の『ウマ娘』の劇場作品であった。
また、ハッキリと言えば、当初はウマ娘という概念そのものに対して食わず嫌いをしていたことも、告白せねばならない。彼女たちはヒトなのか、ウマなのか。競走馬と同じ速度で走れる脚力の人間が、従来の人間と共存できるのか。というか、彼女たちはどのように産まれて、子孫を残すのか、等々。観る前から要らぬ思考を巡らせ、敬遠していたわけなのだが、そうした余計な諸々をも吹き飛ばし、クライマックスのレースシーンではほぼ満席の場内で周囲への配慮を忘れ、成人男性が嗚咽を漏らす。それほどの強力な熱とパワーが、『新時代の扉』には備わっていたのだ。
なのでここでは、『新時代の扉』を観るためには一切の予習は不要。むしろ本作を見逃すくらいなら全部を置き去りにしてとりあえず映画館に行け!という方向性で映画の紹介をしていきたい。
まず本作の優れている点は、劇場用アニメとして作り込まれている点だ。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、「ウマ娘の映画版」ではなく「“劇場アニメ” ウマ娘」を目当てに行く、くらいの気概で望んでも遜色ない出来であることをまず保証するためだ。
例えば、まず気付かされるのが音響の迫力だ。十数人のウマ娘がコースの芝を蹴り上げ、カメラを横切る際は空気が揺れる。その微細な「音」の描写がとにかく優れており、この点は映画館の音響ならではと言っていいだろう。前置きで話した「高速の自転車が自分を横切った瞬間」を思い出させたのは、映画では本作が初めてで、そのことが何よりも衝撃的であった。全速力でひた走るものが側を通るとは、“こういうこと”なのだ。
音の演出でいえば、作中何度か描かれるレースシーンにも個性があり、劇伴を除いた環境音だけで構成されたシーンもあれば、その逆に音楽でエモーションを高めるシーンもあり、実写とアニメの両方のいいとこ取りをしながら展開を盛り上げていくのは「“劇場アニメ” ウマ娘」ならでは。ウマ娘の異次元の速さを表現するために飛行機のエンジン音を用いるといった演出も用いられており、半端な環境では取りこぼしかねない演出に作り手が踏み込んでいるからこそ、こちらも万全の環境、すなわち映画館で味わうしかない、という印象を抱かせる。
そして映像においても本作は迫力十分。ウマ娘たちがその可愛らしい顔を歪ませながらも一生懸命に走る姿は涙を誘うが、その表現技法はバラエティ豊かだ。シネスコの横長の画面を活かし、ウマ娘たちが横一列のデッドヒートを繰り広げる様を大迫力に映し出すシーンはさながら競馬中継映像のそれであり、時にはジョッキーカメラを再現したものと思わしき一人称視点のカットが挟まれ、ライド感を演出する。その間、あれだけ可愛らしかったウマ娘たちが汗水流し、顔を歪ませ、命をすり減らすかのような覇気を纏い疾走するシーンを観て、そこにドラマ性を感じずにはいられない。競馬やウマ娘のことを何も知らずとも、だ。
レースシーンの作画は演出こそが醍醐味の作品ではあるが、日常シーンにも手抜きがなく、むしろ見どころだらけ。時折挟まれるコミカルなシーンではキャラの絵柄もタッチも様変わりし、一本の映画でありながら日本アニメ技術の多様さが伺える。例えとして適当かは自信がないものの、個人的にはTRIGGERとコロコロコミックが同居する、と言うべきだろうか。
異様に質の高いアニメーションと気の抜けたギャグ表現とが同じ土壌に上がる本作は、映像面でも豊かさを有している。可愛いと格好いいと可笑しいが交互にやって来るからこそ、ウマ娘の多彩な感情表現にグラデーションが生まれ、どんどん愛着が湧いてくるのだ。
そして忘れてはならないのが、門外漢でさえも熱狂させ、落涙させるポテンシャルを秘めたストーリー。物語は、ジャングルポケットという名のウマ娘が、先輩ウマ娘のフジキセキの走りに衝撃を受け、自身も同じ舞台に立つためにフジキセキとそのトレーナーの元で教えを受けるようになるところから始まる。強い相手と競い合うことで闘志を燃やし、「最強」のウマ娘になることを目指すジャングルポケットはメキメキと頭角を現すが、彼女の前に最速のウマ娘アグネスタキオンが立ちはだかる。圧倒的な走りを見せ、それでありながらレースの勝敗よりも自分の「研究」に没頭するアグネスタキオンは、ジャングルポケットを置き去りにする走りを見せつけた後、レースへの出走の無期限休止を宣言する。
「最強」の称号を目指し、自分を高め続けてきたジャングルポケットは熱血主人公であり、誰もが羨む脚力と速さを併せ持つ、同期内では最強のアグネスタキオンは、時に自らの身体を酷使してでもウマ娘の限界を求めるマッドサイエンティストタイプ。二者のすれ違いから生じる、怒り、戸惑い、焦燥がジャングルポケットを襲い、彼女は「幻」に囚われる。果たしてジャングルポケットは、「最強」の名誉を得て、自分たちの世代が新時代を切り開く礎となれるのか。誇りと、意地と、プライドを賭けた最後のレースは、号泣間違いなし。
そして、なぜ自分のような競馬&ウマ娘初心者でも楽しめたのかの理由として、本作が入門編としてとても優れているから、ということは書き残しておきたい。
本作は冒頭にて、「馬と映像」に関する史実への巧みな引用を挟みながら、ウマ娘なる未知の生命に関する簡単な説明をしてくれるのだが、さらにその先の「ウマ娘とは何か?」という疑問を抱き、その探求に心血を注ぐのが、アグネスタキオンというキャラクターだ。
我々がよく知る“馬”の耳と尻尾が生えた、時速60km以上で走る異常な脚力と心肺能力を持つ、人間と同じ背格好の少女たち。彼女たちは異世界=我々の現実世界の競走馬の名前を受け継いでこの世に生を受け、「走ること」そのものが生まれ持った本能。では、限界まで速さを追求したその先、一体何が待っているのか。ウマ娘という生命体が切り開く可能性とは何なのか。
私のような初心者が薄っすらと抱いている、そしてウマ娘アプリユーザーの友人曰く、未だ明快な答えが提示されていないという「ウマ娘とは何か?」という疑問に対し、メスを入れようとするアグネスタキオン。彼女はウマ娘であっても、自認する立ち位置はレーサーではなく研究者であり、周りのウマ娘はデータを提供してくれるモルモット。アグネスタキオンは全てを圧倒する走りを見せた後、自分の脚を傷つけ、それすらもデータの一つであるかのように一線を退いて、自分の“代わり”が生まれることを望み、観客席から傍観する。
して、その疑問に対し本作はある一つのシンプルな、そして究極の回答を提示して、幕を閉じるのである。冒頭で提示された一つの概念、すなわちウマ娘はいかにして生まれ、どんな熱情を抱いてゲートに集うのか。「最強」の称号を欲し、しかしアグネスタキオンによって敗北への恐怖を植え付けられたジャングルポケットは、とあるウマ娘の助言を受け、もう一度自分のルーツに立ち返る。あの日見た誰かの走りが、身体を突き抜けるような衝撃が、自分を動かしていたんじゃなかったのか。
本作は冒頭と結末とで、綺麗な円を描いている。冒頭のナレーションが、主題歌が、フジキセキの走りを見たジャングルポケットが発した、ある情動。我慢が効かない、今すぐ身体が動き出してしまうのではないかという本能こそが、ジャングルポケットと、アグネスタキオンの止まった時間を再び躍動させる。そして、その想いはどのウマ娘も共通であるからこそ、全てのレースの一瞬一瞬が血の通ったドラマとなるのである。
「勝ちたい!」「最強になる!」「私だって!」その原動力が一体何なのかは、ぜひ劇場でお確かめいただきたい。つい自分も走り出したくなるような感動が、あなたの胸を刺すことだけは、間違いないからだ。
以上が、『劇場版ウマ娘』を観ていただくために捻り出した今の自分の全てである。正直なところクライマックスのライブシーンは無用では?という気が今でもするものの、有識者曰く“絶対いる”らしいので、その辺りは他の『ウマ娘』コンテンツに実際に触れて確かめてみたい。
『ウマ娘 プリティーダービー』はスマートフォン/PCでプレイ可能、TVアニメシリーズや本作の前日譚にあたる『ROAD TO THE TOP』もサブスクリプションサービスで観ることが可能だ。だがしつこく繰り返すけれど、これらの予習は全て不要。まずはここまでお読みいただいた縁を信じて、『新時代の扉』の座席を予約し、あとは目の前の音と映像に全てを預けてほしい。本稿があなたと『ウマ娘』の、幸せな出会いになりますように。
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